人が毎日いちばん長く会話している相手は、自分だと思います。

家族でもなく。

友人でもなく。

パートナーでもなく。

朝起きてから寝るまで。

「あと5分だけ寝たいな。」

「今日の会議、少し気が重いな。」

「昨日のあの言い方、まずかっただろうか。」

「夕飯は何にしよう。」

私たちは、独り言にもならないような会話を、頭の中で延々と続けています。

心理学では、こうした脳内の対話を「インナースピーチ(内省言語)」と呼ぶそうです。

誰かと話していない時間にも、私たちは自分自身と絶えず相談しています。

励ます声。

責める声。

慎重になる声。

「大丈夫だ」と言う声。

そして、多くの場合、私たちはその相談相手の存在をほとんど意識しないまま、一生を共にしています。

問題は、その同居人が少しめんどくさいことです。

頭の中の自分(インナースピーチ)は、問いかけ方次第で育てられる

この相談相手は、ときどき容赦がありません。

「なんでこんなこともできないんだ。」

「また失敗した。」

「だから駄目なんだ。」

他人からそんなことを言われたら距離を置きたくなるのに、私たちは自分自身には案外きつい言葉を投げかけています。

もちろん、何十年も続けてきた頭の中の会話の癖を、簡単に変えられるとは思いません。

実際、簡単ではありません。

それでも、少しずつ付き合い方を変えていくことはできるのかもしれません。

「なんでできなかったんだ。」

ではなく、

「何が難しかったんだろう。」

「今回は何が起きたんだろう。」

「次に一つ変えるなら、何だろう。」

そんなふうに問いかける相手へと育てていく。

自分を甘やかすわけでもなく。

責め続けるわけでもなく。

事情を聞いて、一緒に次を考えてくれる人。

頭の中の自分は、生まれつき固定された人格ではなく、少しずつ教育されていく存在なのかもしれません。

夜に不安や後悔が止まらない理由──脳の仕組み「DMN」の暴走

昼間は案外まともなのに、夜になると急に活動的になる人がいます。

しかも、その人はだいたい悲観的です。

布団に入った途端、

「あの時、ああしていれば。」

「この先、大丈夫だろうか。」

「最悪の場合はどうなる?」

と、緊急会議を始めます。

もちろん、その人とは自分のことです。

この現象を、「夜の反省会議」と呼んでみます。

不思議なことに、昼間なら「まあ何とかなるか」と思えることまで、夜になると妙に現実味を帯びて襲ってきます。

でも、これも性格の弱さだけではないようです。

脳科学では、何もしていないように見える時間に、過去を振り返ったり、未来をシミュレーションしたりする回路が知られています。

デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)」という少し長い名前の仕組みです。

ぼんやりしている時ほど、脳は勝手に物語を作り始めます。

反省したり。

心配したり。

後悔したり。

つまり、夜の緊急会議は、ある意味では脳の初期設定でもあります。

あなたがネガティブなのではなく、脳がそういう仕様なのです。

だから、「考えすぎるな」と力づくで押さえ込もうとしても、なかなかうまくいきません。

自分の脳の設定に、正面から立ち向かっても勝てないからです。

むしろ必要なのは、力でねじ伏せることではなく、「またお前(DMN)か」と気づくことなのかもしれません。

「その話は明日の昼にしよう。」

「今は営業時間外だ。」

「続きは、ちゃんと起きてから聞くよ。」

最初はうまくいきません。

また会議が始まります。

また最悪の想像をします。

それでも、そのたびに境界線を教えていく。

頭の中の同居人を敵にするのではなく、付き合い方を教える。

それは抑圧というより、躾に近いのかもしれません。

考えることと、考えないことは同等の技術──脳のエネルギーを守る成熟

私たちは、「よく考える人」を褒めます。

慎重であること。

熟慮すること。

深く考えること。

もちろん、それは大切なことです。

でも、人生のすべてを考え続けていたら、人は疲れてしまいます。

今日は何を着るか。

何を食べるか。

どちらを選ぶか。

返信はどうするか。

決断を繰り返すほど、人の判断は少しずつ雑になっていきます。

「意思決定疲労」という言葉があります。

判断そのものにも、コストがあるという考え方です。

だから、

「ここは考える。」

「ここは習慣に任せる。」

「今日は結論を出さない。」

という引き算の判断もまた、大切になります。

考えないことは、怠慢ではありません。

考えるべきことのために余白を残す技術です。

何でも考え抜くことが成熟なのではありません。

考える場所と、考えない場所。

営業する時間と、店じまいの時間。

その境界線を決められることもまた、一つの成熟なのだと思います。

おわりに:本当の自分を探すのではなく、日々の対話で「自分を作っていく」

「本当の自分を探す。」

そんな言葉をよく耳にします。

でも、自分はどこかに完成された状態で眠っているものなのでしょうか。

むしろ、自分とは少しずつ作られていくものなのかもしれません。

責め方ではなく、問いかけ方を覚える。

24時間営業ではなく、店じまいの時間を覚える。

夜の緊急会議には、「また明日」と伝える。

頭の中の同居人との付き合い方を、少しずつ学んでいく。

もちろん、簡単ではありません。

それでも。

昨日までの自分が、今日の自分を少し育てていく。

今日の自分が、明日の自分に少し優しくなる。

人生とは案外、そういう静かな作業の積み重ねなのかもしれません。

自分とは、見つけるものではなく。

少しずつ、作っていくものなのだと思います。

以前こんなことを書いたことがあります。

夜になると、

「明日は早起きしよう。」

「運動もしよう。」

「読書も進めよう。」

と、少し理想的な計画を立てる自分がいます。

ところが、朝になると、

「いや、待てよ。」

「今日は寒いし。」

「昨日も疲れていたし。」

と、急に慎重な自分が現れます。

どちらが本当の自分なのだろう。

以前は、このズレを「夜勤担当と朝勤担当の引き継ぎミス」のようなものだと考えていました。

夜の自分は、朝の自分を少し信用しすぎている。

朝の自分は、目の前のコストを少し重く見積もっている。

そんな観察です。

今回の記事を書きながら、その頃から私はずっと、「頭の中の同居人たち」との付き合い方を考えていたのだな、と少し可笑しくなりました。

もし興味があれば、以前の観察ものぞいてみてください。

▼以前書いた「夜と朝の引き継ぎ」についての観察はこちら

楽観的になる夜、悲観的になる夜。私たちの思考は常に同じではありません。
そんな定まらない思考にも少しずつ理由を見つけられるかもしれません。
そんなことがあるということを知れば、少し気持ちが楽になるかも知れない、そんなことを書いてみたnoteです。


私たちの脳は、放っておくと五感から入る情報に過剰に反応し、頭の中で勝手に「ネガティブな反省会議」や「終わりのないシミュレーション」を始めてしまいます。
本文でご紹介した「考えないことは、考えるべきことのために余白を残す技術である」という視点を、さらに実践的に深掘りできる一冊です。
本書は、そんな脳内のノイズ(インナースピーチ)を静かにミュートし、思考の「店じまいの時間」をきっちり守るための、具体的で淡々としたレッスン書です。
世間の「もっと考えろ」というノイズから一歩引き、頭の中の同居人と静かに折り合いをつけたい方は、ぜひ手に取ってみてください。



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