子どもって、もっと自由に生きている存在だと思っていました。

でも実際には、小学校くらいの集団ですら、かなり自然に「役割」を見ている。

誰が中心にいるのか。
誰が決める側なのか。
誰の言うことなら聞くのか。

しかも面白いのは、

「役なんてやりたくない」

と言っていた人が、これは大人も子どもも同じですが、役割をもらえないと少し不機嫌になったりすることです。

逆に、自分は前に出たくないのに、決める人への批判だけは妙に熱心な人もいる。

文化祭でも。
部活でも。
会社でも。
SNSでも。

人間は、気づくと自然に「立場」や「役割」を作っている。

これって、なぜなんだろう。

いろいろな場所を少し抽象化して眺めると、

「ああ、確かにこういうことあるな」

と思い当たる場面が、意外とたくさん見えてくる気がするのです。


人類は、「効率化」ではなく「混乱を防ぐため」に役割を作った

進化心理学では、人間を「超協力型生物」として捉える考え方があります。

つまり人類は、長い時間を「群れ」で生き延びてきた。

狩り。
子育て。
見張り。
危険察知。
食料運搬。

誰が何をするのか。

これが曖昧なままでは、生存率そのものが下がってしまう。

もし狩りの途中で、

「誰が見張りやる?」
「誰が追い込む?」
「誰が運ぶ?」

を毎回ゼロから議論していたら、群れはかなり不利になります。

つまり役割とは、「効率化」の前に、群れが混乱しないための装置だった可能性がある。

ここは現代の会社や学校を見ていても、妙に納得感があります。

人間は自由を好む一方で、「誰が決めるのか」が曖昧になると、逆にかなり不安定になる。

完全フラットな組織が、理想としては語られながら、実際には長続きしにくいのも、そのあたりと関係しているのかもしれません。

ボス猿は「支配者」ではなく、「不安定さを引き受ける役」

しかも面白いのは、霊長類研究では、「ボス猿」が単純に力の強さだけで決まるわけではないことです。

ケンカを止める。
群れを落ち着かせる。
危険を察知する。
安心感を与える。

そういう役割を持った個体が、結果として群れの中心になっていくこともある。

つまりリーダーとは、単なる「支配者」ではなく、

群れの不安定さを引き受ける役

だった可能性がある。

ここは、現代社会にもかなり似ています。

会社でも、ただ威圧的なだけの人より、

「この人がいると場が安定する」

人のまわりに、自然と人が集まることがあります。

人類は長い時間、「誰が強いか」だけでなく、

「誰が群れを安定させるか」

を見ながら生きてきたのかもしれません。


社会心理学が明かす「誰か決めてくれ」に流れる人間の本音

社会心理学では、人間が集団になると、「責任を分散しやすい」ことが知られています。

有名なのが、「社会的怠惰」という考え方です。

簡単に言えば、人は集団になると、

「誰かがやるだろう」

になりやすい。

でもこれは、単なる怠けではない気もします。

人間って、思っている以上に「判断」に疲れるからです。

しかも厄介なのは、「決めた結果が悪かった時の責任」まで背負わなければならないことです。

実際、自分が主担当の仕事と、ヘルプで入る仕事では、精神的な負荷がかなり違います。

主担当になると、

「この方向でいいのか」
「責任はどうなるのか」
「優先順位は間違っていないか」

を、頭のどこかでずっと持ち続けなければならない。

つまり人間は、「作業量」だけで疲れているわけではない。

判断を持ち続けることそのものに、かなりエネルギーを使っている。

だから集団では自然と、

「この人が決める役」

が発生していく。

逆に言えば、リーダーとは「偉い人」というより、判断の責任を肩代わりする人だった可能性もある。

だから人は、リーダーに文句を言いながら、同時にその存在を必要としてしまう。

これは政治でも、会社でも、学校でも、かなり共通している気がします。


役割とは「負担」であり、同時に「存在証明」でもある

ここで少し不思議なのは、人間が「自由」を求めながら、同時に「役割」も欲しがることです。

役割というのは、本来かなり不自由です。

期待される。
責任が増える。
空気も読まなければならない。

だから口では、

「そんなのやりたくない」

と言う。

でも実際には、人は完全に役割のない状態にも耐えにくい。

なぜなら役割とは、単なる仕事ではなく、

「自分はこの群れの中にいていい」

という確認にもつながっているからです。

つまり役割は、

負担 拘束

である一方、

承認 居場所 存在証明

でもある。

これは学校のクラスでも、会社でも、SNSでもかなり共通している気がします。

「前には出たくない。でも無視されたくもない」

この少し矛盾した感覚って、かなり人間らしい。

なぜ「決める役」を嫌がる人ほど、批判に熱心なのか?

そして面白いのは、決める役になるのをを嫌がる人ほど、決める側への関心が強かったりすることです。

責任は負いたくない。
でも影響力は欲しい。

責任までは引き受けたくない。
でも、「決める側」に対しては強く関与したい。

そう考えると、冒頭で書いた「前には出たくないのに、決める人への批判だけ妙に熱心な人」が存在する理由も、少し見えてくる気がします。

しかも進化心理学では、人間には「支配者の暴走を監視する本能」がある、という考え方もあります。

群れで生きていた人類にとって、力を持った個体がリソースを独占し始めることは、群れそのものの崩壊につながりかねなかった。

だから人間は、リーダーを必要としながら、同時に強く警戒もする。

「決める側への批判」が妙に熱を帯びやすいのも、そのあたりと少し関係しているのかもしれません。

これはSNS時代の空気にも、かなり似ている気がします。

そしてこの「監視する本能」が牙を向くのは、何もリーダーに対してだけではありません。

コロナ禍で生まれた「◯◯警察」も、人類の「群れ本能」なのかもしれない

コロナ禍の際、「自粛警察」や「マスク警察」などと呼ばれる現象が日本中で話題になりました。

もちろんそこには、純粋な不安や「みんなで乗り切ろう」という善意も混ざっていたと思います。

ただ進化心理学的な視点を少し足すと、また違った景色が見えてきます。
人間には昔から、「群れのルールを破り、集団を危険にさらす存在」を強く警戒する本能がある、と考えられているからです。

人類史において、感染症は群れを一瞬で崩壊させかねない巨大なリスクでした。

だからこそ、私たちの脳には、 「ルールを破る人を監視する」 「危険を持ち込む人を排除する」 という防衛反応が、OSのレベルで深く組み込まれている可能性があります。

現代は、その脳の監視システムが、SNSというテクノロジーによって一気に可視化され、増幅されやすい環境です。

そう考えると、あの「◯◯警察」的な現象も、単なる個人の性格や正義感の問題だけではなく、「人類の群れとしての防衛本能が、現代の環境で過剰に作動してしまった結果」だったのかもしれません。


現代の罠──「百数十人の群れ」で、全世界と比較する時代

そして現代は、この群れ感覚がかなり特殊な形で拡張されています。

昔の人類にも「比較」はありました。

でも比較対象には、物理的な限界があった。

村。
学校。
会社。

つまり人間の脳は、本来そこまで巨大な比較社会を想定していなかった可能性がある。

ところがSNSは、その制限を一気に壊してしまった。

SNSを開けば、世界中の「大きな魚」が、一瞬で視界に入ってくる。

起業家。
投資家。
天才。
インフルエンサー。
美男美女。

昔なら、一生のうちで数人見るかどうかだったような存在が、今はスマホを開くだけで次々と流れてくる。

つまり現代人は、「社会に出る」だけでなく、「全世界に接続される」時代を生きている。

でも、本来それは「同じ池の魚」ではなかったのかもしれません。

タイムラインに流れてくるものは、自分の人生の競争相手ではなく、ただの観測対象──言ってしまえば、暇つぶしに眺めている景色のはずです。

それでも人間の脳は、それを自然に「比較対象」として処理してしまう。

ここがかなり現代的な罠です。

人類は長い時間、「数十人〜百数十人規模の群れ」の中で生きてきた。

でも今は、全世界の上澄みが、24時間タイムラインに流れ込み続けている。

これはある意味、人類史レベルでかなり特殊な環境なのかもしれません。

ダンバー数(Dunbar’s number)

ロビン・ダンバー(イギリスの進化心理学者・人類学者)が提唱した、
「人間が安定した社会的関係を維持できる認知的な上限人数」を示す考え方。

霊長類の「大脳新皮質(社会性を司る脳領域)の大きさ」と、「群れの規模」に相関関係があるという研究をもとに、人類ではその上限が「約150人前後(100人〜230人の間)」になると推定された。

もちろんこれは厳密な固定人数ではないが、
人類は長い時間、「顔と名前が一致し、お互いの関係性をある程度把握できる規模」の共同体で生きてきたと考えられている。

そのため進化心理学的には、現代人の脳も、こうした小規模な群れを前提に形成されている可能性がある。


まとめ|「自由」と「役割」の間にある不器用な揺れ

人間は、自由でいたい。

支配されたくない。
好きに生きたい。

でも同時に、

「自分の役割」

も欲しがる。

誰かに必要とされたい。
居場所が欲しい。
役に立っている感覚が欲しい。

そして時々、

「誰か決めてくれ」

とも思ってしまう。

進化心理学。
社会心理学。
教育心理学。

いろいろな学問の視点を借りてみると、人間という生き物は、かなり矛盾した存在に見えてきます。

完全に自由になりたい。
でも、群れの安心感も手放せない。

役割から逃げたい。
でも、役割を失うと少し不安になる。

この少し不器用な揺れ方そのものが、人類らしさなのかもしれません。


noteにも少し違う角度からこのテーマを扱った記事があります。
よろしければ是非のぞいてみて下さい。


📚 さらに思考を深めたい方へ

今回ご紹介した「ダンバー数(150人の限界)」。

私たちの脳が、原始時代から続く「顔の見える小さな村」を処理するように設計されているのだとしたら、数万人、数百万人のタイムラインが24時間なだれ込んでくる現代のSNSは、脳にとってまさに「想定外のバグ誘発装置」と言えます。

「なぜ私たちは、ネットの人間関係でこんなに疲弊してしまうのか?」 「私たちの脳が、本当に大切にできるコミュニティのサイズとは?」

ダンバー数の提唱者である進化心理学の大家ロビン・ダンバー氏本人が、最先端の脳科学やデータをもとに、現代のSNS環境がいかに人間の「群れOS」をバグらせているかを鋭く解き明かした、知的好奇心を刺激する一冊です。


「役割」「リーダー」 人間のOSからの視点で眺めてみました。


Re:Trader ─ トレードからはじまる行動と心理のノートをもっと見る

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