「役割」は、人類が発明した摩擦軽減デバイスだったのかもしれない

人間は、「自由」が好きです。

好きに動きたい。
指図されたくない。
自分の判断で生きたい。

でも一方で、完全にフラットな集団に入ると、意外と疲れることがあります。

誰が決めるのか。
誰が責任を持つのか。
誰に確認すればいいのか。

それが曖昧になると、人間はかなり多くのエネルギーを使い始める。

だから私たちは、気づくと自然に、店長やキャプテン、司会やリーダーのような「役割」を作っています。

しかも面白いのは、人間が「役割に縛られたくない」と思いながら、同時に「役割がない状態」にも少し不安を感じることです。

これは単なる現代社会の話ではなく、人類がかなり長い時間を「群れ」で生きてきたことと関係しているのかもしれません。

「役割」は偉さのためじゃない──ゼロから空気を読み合わないための摩擦軽減デバイス

役割というと、上下関係や支配をイメージすることがあります。

でも少し見方を変えると、役割とは、

「毎回ゼロから空気を読まなくて済む装置」

だったのかもしれません。

例えば会社でも、「誰が判断するのか」「誰が責任を持つのか」「誰に確認するのか」が曖昧になると、一気に属人的になります。

すると、

「なんとなく声が大きい人」
「昔からいる人」
「空気を握れる人」

が、非公式に強い影響力を持ち始める。

つまり役割とは、

「その人が偉い」

というより、

「判断権」と「責任の所在」を固定する装置

に近かったのかもしれません。

実際、社会心理学では、人間は集団になると「責任を分散しやすい」ことが知られています。

有名なのが、「社会的怠惰(social loafing)」という考え方です。

人は集団になると、

「誰かがやるだろう」

となりやすい。

これは単なる怠けというより、「判断コスト」や「責任」を無意識に避けようとする反応とも考えられています。

つまり人類はかなり昔から、

「誰が決めるのか」

を固定化しないと、群れが不安定になりやすいことを経験的に理解していたのかもしれません。

「属人性の突破力」と「制度の安定性」──人類が繰り返してきた歴史の天秤

もちろん、属人的な構造には強さもあります。

決断が速い。
熱量がある。
空気を一気に変えられる。
突破力がある。

戦国時代や創業期の企業などは、かなりこの力で動いてきたようにも見えます。

先が見えない時代。
どこへ向かうのか分からない時代。

そういう環境では、「強い個」が群れを前へ引っ張る。

これは人類史でも、かなり繰り返されてきた構図なのかもしれません。

ただ一方で、人類はかなり昔から、

「強すぎる個人への依存」

の危うさも感じ取っていたように見えます。

属人的な組織は強い。

でもその一方で、

「その人がいないと回らない」
「その人の気分で空気が変わる」
「毎回、その人を読む必要がある」

という別の摩擦も生みやすい。

だから人類は少しずつ、「人」ではなく、「役割」や「制度」に判断を預ける方向へ進んでいったようにも見えます。

カリスマへの依存を警戒した古代ローマの智慧

例えば古代ローマでは、「王」のような強大な個人権力を警戒する空気が強かったと言われています。

ローマ共和国では、任期制や合議制、権力分散などを導入し、「一人に権力を集中させすぎない」構造を作ろうとしていた、という見方もあります。

もちろん、実際の歴史はもっと複雑です。

ただ少なくとも人類はかなり昔から、

「属人性の突破力」

「制度の安定性」

の間を、行ったり来たりしてきたようにも見えます。

徳川家康が江戸幕府に施した「仕組み化」──天才がいなくても崩壊しない群れの設計図

日本史を見ても、少し似たものを感じます。

戦国時代は、かなり属人性の強い時代だったようにも見えます。

信長。
秀吉。
家康。

強烈な個人の力で、時代が大きく動いていく。

でも江戸幕府になると、どちらかと言えば、

「仕組み化」

に近い方向が重視されていったようにも感じられます。

身分制度、役職、儀式、参勤交代、細かな手順などを整備し、

「誰がどう動くのか」

を固定化していく。

もちろん、これを単純に「良い・悪い」で語ることはできません。

ただ少なくとも、

「誰がやっても、ある程度回る構造」

を、人類はかなり重要視してきたようにも見えます。

つまり人類は、

「強い個人」
だけではなく、

「壊れにくい群れ」

も同時に求めてきたのかもしれません。

フラットな組織の罠──役割をなくすと始まる、残酷な「見えない属人ゲーム」

現代では、「完全にフラットな組織」を目指す動きも増えています。

上下関係を減らし、みんなが自由に発言できる環境を作ろうとする。

それ自体は、とても自然な流れにも感じます。

ただ一方で、「役割」を曖昧にすると、今度は別の種類の属人性が強まることもあるようです。

例えば、

  • 発言量の多い人
  • 空気を握れる人
  • 古参メンバー
  • 感情エネルギーの強い人

などが、非公式に強い影響力を持ち始める。

つまり役割をなくすと、「権力」が消えるというより、

「見えにくくなる」

だけなのかもしれません。

そう考えると、役割や制度というのは、

「支配のため」

だけではなく、

「見えない属人ゲームを減らすための知恵」

でもあったように見えてきます。

まとめ|自由と役割の間を、少し不器用に行き来しながら生きていく

人間は、自由を求めます。

指図されたくない。
好きに生きたい。

でも完全に自由になると、今度は、

「誰が決めるのか」
「誰が責任を持つのか」

が曖昧になり、少し疲れてしまう。

だから人類は、「役割」を作った。

「誰が判断し、誰が責任を持つのか」を固定した。

それは支配というより、

「毎回ゼロから空気を読み合って疲弊しないための知恵」

だったのかもしれません。

そして大切なのは、役割を完全になくすことではなく、

「役割に飲み込まれすぎないこと」

なのかもしれません。

人類はこれからも、
完全に役割なしでは生きられない。

でも同時に、役割だけで人を固定しすぎると、今度は息苦しくもなる。

だから私たちは、
自由と役割の間を、
少し不器用に行き来しながら、
群れを続けていくのかもしれません。


📚 さらに思考を深めたい方へ

本作でご紹介した、徳川家康が戦国時代の「属人性」を終わらせるために作った、天才がいなくても260年回り続ける驚異のシステム。

実は、私たちが日々悩まされている「上司との関係」「出世」「出向」「経費」「利権」、そして「忖度(そんたく)」にいたるまで、現代の日本の企業や官僚機構の仕組みの原型は、すべて江戸幕府が設計したものでした。

江戸の武士たちもまた、強烈なカリスマの顔色を伺う「属人ゲーム」から解放される代わりに、巨大なシステムの歯車として生きていく不自由さと、その引き換えにある安定感の狭間で揺れていたのです。

「壊れにくい群れ(組織)」を、日本人がどうやってゼロからデザインしたのか。
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[江戸の組織人 現代企業も官僚機構も、すべて徳川幕府から始まった! (朝日新書) / 山本博文]


本記事に至る、4本の「組織・リーダー・役割考」です。ぜひ最初から読んでみて下さい。


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