人間って、不思議なくらいすぐ役割を作ります。

文化祭でも。
旅行でも。
BBQでも。
オンラインゲームでも。

最初は、

「みんな自由にやろう」
「上下関係なしでいこう」

と言っていたはずなのに、気づくと自然に、

「段取りする人」
「決める人」
「空気をまとめる人」

が生まれている。

しかも面白いのは、誰も正式任命していないことです。

これはよく考えると、かなり不思議な現象です。

人間は、「完全フラット」を理想として語ることがあります。
でも実際には、役割のない状態にかなり耐えられない。

誰が決めるのか。
誰が責任を持つのか。
どこに確認すればいいのか。

それが曖昧になると、人間は思っている以上に疲れてしまう。

だから自然と、

「この人が決める側」

が発生していく。

今回は、この役割の自然発生について、少し進化心理学や教育心理学的な視点から考えてみたいと思います。

もちろん、これだけで人間社会のすべてを説明できるとは思っていません。

ただ、学校、会社、コミュニティ、SNS。
いろいろな場所を少し抽象化して眺めると、

「ああ、確かにこういうことあるな」

と思い当たる場面が、意外とたくさん見えてくる気がするのです。

こういう「自然発生する役割」は、大人の世界だけの話ではありません。

むしろ振り返ってみると、学校のクラスや部活動など、かなり早い段階から始まっている気もします。

そして面白いのは、その頃に作られた役割感覚が、大人になってからの自己認識にも、意外と強く影響していることです。

小学校の「リーダー」は、本当にリーダーだったのか

小学校や中学校でリーダータイプだった人が、大人になってから意外と苦労する、という話を読んだことがあります。

最初は少し意外でした。

でも考えてみると、妙に納得感もある。

学校という空間では、かなり早い段階で「役割」が固定されやすいからです。

リーダーっぽい人。
優等生。
ムードメーカー。
空気を読む人。

周囲の「無関心」が、便利な身代わりを自動生成する

そして、小・中学校くらいの集団って、実はかなり無関心なことがあります。

自分で考えたくない。
判断したくない。
責任を持ちたくない。

すると自然と、

「こいつに任せておけばいいか」

という空気が発生する。

責任感が強い人や、能力が高い人のところに、判断や段取りが集まっていくのです。

ここで少し面白い現象が起きる。

周囲は「強い信頼」を寄せているというより、

「自分で考えるコストを減らしたい」

だけだったりする。

でも任された側は、それを、

「みんなが自分についてきている」
「自分にはリーダーシップがある」

と認識しやすい。

このズレは、かなり静かに進行します。

しかも厄介なのは、本人に悪気がないことです。

むしろ真面目で、責任感が強く、ちゃんと頑張っている人ほど、この構造に入りやすい。

人間は「判断を持ち続けること」に疲弊する

これは仕事でもよくあります。

同じ案件でも、「自分が主担当」の時と、「ヘルプで入る時」では、精神的な負荷がかなり違う。

主担当になると、

「この方向で本当にいいのか」
「優先順位は間違っていないか」
「何かあった時どうするのか」

を、頭のどこかでずっと持ち続けることになります。

つまり人間は、単純な作業量だけで疲れているわけではない。

「判断を持ち続けること」そのものに、かなりエネルギーを使っている。

だから人間は自然と、

「この人が決める役」

を作りたがる。

それは支配というより、むしろ脳の省エネに近い感覚なのかもしれません。

誰が決めるのか。
誰が責任を持つのか。

それが見えているだけで、人は少し安心する。

「小さな池の大きな魚」という感覚

教育心理学には、ビッグフィッシュ・リトルポンド効果(BFLPE)という考え方があります。

簡単に言えば、人間の自己評価は、「絶対的な能力」だけではなく、「周囲との比較」にかなり強く影響される、という現象です。

優秀な集団の中では自己評価が下がりやすく、逆に小さな集団の中では、自分をかなり高く認識しやすい。

安全な育成場所としての「小さな池」

これは悪いことばかりではありません。

実際、小さな池の中で、

「自分はできる」
「自分にも価値がある」

という感覚を持てることは、人間にとってかなり重要です。

自己肯定感。
挑戦意欲。
主体性。

そういうものは、「周囲との比較」の中で育つ部分も大きい。

もし子どもの頃から、常に自分より圧倒的に優秀な人間ばかりの環境にいたら、多くの人は挑戦そのものをやめてしまうかもしれません。

つまり「小さな池」は、人間を育てるための安全な場所として機能することもある。

これはかなり重要な視点です。

海(社会)に出た瞬間に訪れる「リアリティショック」

ただ、その構造には少し怖い副作用もあります。

人間は、自分の能力を「絶対値」ではなく、「周囲との比較」で認識しやすい。

だから小さな池で大きな魚だった人が、社会という大きな海に出た瞬間、急に自己認識が揺らぎ始めることがある。

しかも会社では、多くの場合最下層からスタートします。

学生時代のように、自然と役割が与えられるわけではない。

周囲も無関心ではなく、それぞれの利害や計算で動いている。

すると、それまで成立していたおまかせ型リーダーシップが、急に通用しなくなる。

これはかなり大きなリアリティショックです。

役割とは、本人の実力ではなく「環境」が作るもの

ここで少し怖いのは、人間が、

「自分の能力」

だと思っているものの一部が、実は環境によって作られている可能性があることです。

周囲の無関心。
小さな集団。
比較対象。
責任の丸投げ。

そういうものが重なった結果、

「リーダーっぽい人」

が生成される。

つまり役割とは、本人一人だけで成立しているわけではない。

集団との関係性の中で、共同で作られている。

だから環境が変わると、人は急に役割を失うことがある。

そしてその時、人は、

「自分が何者なのか」

まで分からなくなってしまう。

まとめ|人類の脳に深く刻まれた「誰かに任せたい」という群れOS

最近は、

  • フラット組織
  • 自律型組織
  • 全員が主体的な組織

みたいなものが理想として語られることがあります。

もちろん、それには良い面もあります。

ただ、人間の脳は、

「全員が当事者として判断し続ける状態」

に、そこまで強く作られていない気もします。

だから放っておくと、人は自然と、

「誰か決めてくれ」

の方向へ流れていく。

そして、役割が発生する。

たぶんこれは、単なる現代社会の問題ではなく、人間が長い時間をかけて群れとして生きてきた、その設計そのものに近い話なのだと思います。

ビッグフィッシュ・リトルポンド効果(Big-Fish-Little-Pond Effect)
教育心理学者ハーバート・マーシュ(Herbert W. Marsh)らが1980年代に提唱した、自己概念(セルフ・コンセプト)に関する心理学理論。
人間の学業や能力に対する自己評価は、「本人の絶対的な実力」ではなく、「所属する集団(準拠集団)の平均レベルとの相対的な比較」によって決定されるという現象を指す。
能力が同じであっても、優秀な集団(大きな池)に属すると自己評価は低下し(小さな魚)、平均的な集団(小さな池)に属すると自己評価が高まる(大きな魚)ことが、世界各国の国際比較調査(PISA等)でも実証されている。


さらに思考を深めたい方へ

今回ご紹介した「ビッグフィッシュ・リトルポンド効果(小さな池の大きな魚効果)」。

あえてレベルを落とした集団でトップ(大きな魚)になり、過剰な自信をつけた方がいいのか。
それとも、クジラだらけの厳しい海(エリート集団)に飛び込んで揉まれた方がいいのか。

一見、後者の方が成長できそうに思えますが、本書が提示する
「超名門大学に進学した秀才たちが、周囲の圧倒的な才能に自信をヘシ折られ、次々と夢を諦めていく」というリアルなデータは、私たちの直感を180度覆します。

「環境が人間をどう変えるのか」の不都合な真実を暴き出す、知的好奇心を刺激する傑作です。



このブログでは、日常のふとした瞬間に感じる「生きづらさ」や、

心身の健康、そして人生を少し面白くする視点について綴っています。

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