不安になる。
イライラする。
人の目が気になる。
もう考えても仕方がないと分かっているのに、頭から離れない。
そんなとき、私たちはよく自分に言います。
「気にしなければいい」
「もう少し前向きに考えよう」
「早く切り替えよう」
たしかに、その通りなのだと思います。
自分でも分かっている。
それでも、できない。
そして、そこからもう一つの苦しさが始まります。
「分かっているのに、なぜできないんだろう」
「こんなことでイライラする自分は未熟なのではないか」
「感情くらい、もう少しうまくコントロールできないものか」
最初にあった不安や怒りとは別に、今度はその感情を処理できない自分まで責め始める。
でも、ここには一つ、前提の置き方に無理があるのかもしれません。
私たちはどこかで、
感情は、自分の考え方によって操作できるもの
と思っている。
本当にそうなのでしょうか。
僕は最近、こんなふうに考えるようになりました。
感情は身体から独立した、謎の精神現象ではない。
ここから考えてみると、少し景色が変わります。
- 感情は「心」だけにあるわけではない|身体と脳が作る感情の土台
- 身体は、こちらが考えるより先に動く|自律神経と感情の共通点
- 感情には「自動運転」の領域がある|思考より先に立ち上がるプロセス
- 「分かっているのにイラつく」のは、意志が弱いからではない
- 感情の上に、もう一つ感情を重ねてしまう「二重の負担」
- 感情の背後を見る|怒りや不安の後ろに隠れた「守りたいもの」
- アドラー心理学の視点|「その感情で何をしようとしているのか?」
- 他人の感情も、その人そのものではない|人間関係を楽にする視点
- 感情が生まれてから行動するまでの「3つの段階」
- 文明は新しい。でも、人間OSはそれほど新しくない|現代環境と古い反応システム
- 感情を消す(コントロールする)のではなく、「観察する」
感情は「心」だけにあるわけではない|身体と脳が作る感情の土台
よく眠れなかった日は、普段なら気にならないことにイライラする。
空腹なら機嫌が変わる。
疲れている夜には、昼間ならたいしたことではなかった問題が妙に大きく見える。
緊張すれば心拍が上がる。
怖ければ身体がこわばる。
そう考えれば、感情が身体と無関係ではないことは、ごく当たり前のことです。
身体がある。
脳がある。
記憶がある。
これまでの経験がある。
そのとき置かれている環境もある。
そうしたものと切り離されたところに、「心」という不思議な箱だけが浮いていて、そこから感情が突然出てくるわけではありません。
ところが感情の話になると、私たちはどうしても精神論へ寄ってしまいます。
「考え方を変えればいい」
「もっと強くなればいい」
「気にしないようにすればいい」
でも人間は、頭だけで生きているわけではありません。
身体は、こちらが考えるより先に動く|自律神経と感情の共通点
突然、後ろで大きな音がしたとします。
身体がびくっとする。
肩に力が入る。
思わず振り向く。
心拍も少し上がるかもしれません。
そのあとで、
「何の音だったんだろう」
と考える。
この順番がおもしろい。
私たちは、
「大きな音がした。危険かもしれない。だから身体を緊張させよう」
と考えてから反応したわけではありません。
身体のほうが先に動いています。
自律神経という仕組みを考えても分かります。
心拍数を一拍ずつ自分で決めているわけではない。
胃腸を動かそう、と意識して指示しているわけでもない。
身体は、かなりの部分を自動で動かしています。
もちろん、感情と自律神経は同じものではありません。
ただ、感情にも少し似たところがあるのではないかと思うのです。
不安になる。
腹が立つ。
怖くなる。
緊張する。
嫌だと思う。
その始まりを考えると、
「よし、いまから不安になろう」
と自分で決めているわけではありません。
こちらの意思より先に、何かが始まっています。
感情には「自動運転」の領域がある|思考より先に立ち上がるプロセス
これは正式な心理学用語ではありません。
人間を理解するための、一つの見方です。
感情には「自動運転」の領域がある。
そう考えてみます。
ただし、身体が自動的に反応したことと、「怖い」「不安だ」と自覚することは、まったく同じではありません。
身体が緊張する。
脳が何かを警戒する。
そこへ過去の経験や記憶、その場の状況、物事の捉え方などが重なっていく。
そして私たちは、
「怖い」
「腹が立つ」
「不安だ」
と感じる。
感情はもっと複雑です。
だから、
「怒りはこの脳の部分が作っている」
とか、
「不安はこのホルモンのせいだ」
と一つの原因にまとめるつもりはありません。
ただ、
感情には、自分の意思より先に動き始める過程がある。
このくらいなら、かなり自然な見方ではないでしょうか。
「分かっているのにイラつく」のは、意志が弱いからではない
ここで日常に戻ります。
SNSを見すぎないほうがいい。
少し距離を取ったほうがいい。
疲れているなら休んだほうがいい。
感情的なときには、すぐ返事をしないほうがいい。
そんなことは、たぶん多くの人が知っています。
問題は、
知っているのに、やっぱりイラつくことです。
知っているのに不安になる。
知っているのに人の目が気になる。
頭では理解しているのに、身体と感情はそれとは別の動きをする。
だとすれば、
「分かっているのに反応してしまう」
ということは、必ずしも理解不足を意味しません。
意志が弱いとも限らない。
別のレイヤーで、人間の仕組みが動いている。
そう考えたほうが、少し無理がない気がします。
感情の上に、もう一つ感情を重ねてしまう「二重の負担」
不安になる。
それだけでも少し苦しい。
そこへ、
「こんなことで不安になる自分は弱い」
が乗る。
腹が立つ。
さらに、
「こんなことで怒っている自分は未熟だ」
が乗る。
落ち込む。
そして、
「いつまで引きずっているんだ」
と自分に腹を立てる。
こうして考えてみると、
最初の感情そのものとは別に、
その感情をうまくコントロールできない自分への評価
が、二重目の負担になっていることがあります。
だから「感情には自動的な部分がある」と考える意味は、
「仕方がないから何もしなくていい」
ということではありません。
むしろ、
最初から全部を自分の支配下に置こうとしない
ということなのだと思います。
感情の背後を見る|怒りや不安の後ろに隠れた「守りたいもの」
ただし、自動的に始まったからといって、
「理由など何もない」
という話でもありません。
むしろここからが、おもしろいところです。
腹が立った。
なぜ、あの一言にこんなに反応したのだろう。
不安になった。
自分は何を失うことを怖がっているのだろう。
人の評価が気になる。
なぜ、この人からどう見られるかがこんなに重要なのだろう。
感情そのものを見るのではなく、
その後ろに何があるのか
を少し眺めてみる。
期待していたのかもしれない。
傷つきたくなかったのかもしれない。
自分の立場を守りたかったのかもしれない。
認めてもらいたかったのかもしれない。
何かを失いたくなかったのかもしれない。
必ず答えが見つかるわけではありません。
答え合わせをする必要もありません。
ただ、
「怒っている自分」
だけを見るのと、
「なぜ、ここまで怒ったのだろう」
と一歩後ろを見るのでは、感情との距離が少し違います。
アドラー心理学の視点|「その感情で何をしようとしているのか?」
ここで、僕が好きなアドラー心理学の見方が入ってきます。
アドラー心理学には、行動や感情を、過去の原因だけではなく目的との関係から見る考え方があります。
たとえば怒り。
怒りによって相手を動かそうとする。
泣くことで何かを伝えようとする。
感情を、目的との関係から眺めてみる。
ただし、ここで、
「自分は相手を支配するために、意図的に怒りを作った」
とまで考える必要はないと思います。
その目的そのものも、本人が十分に意識していないことがあります。
傷つくのを避けたい。
自分を守りたい。
相手に分かってほしい。
そうした方向へ、人間が咄嗟に感情を使っていることもある。
だから僕は、二つの問いを分けて持つと面白いと思います。
なぜ、この感情が立ち上がったのだろう。
そして、
この感情によって、自分は何をしようとしているのだろう。
一つ目は、人間OSを見る問い。
二つ目は、アドラー的な目的を見る問い。
原因だけでもない。
目的だけでもない。
両方から見る。
すると、感情が少し立体的になります。
他人の感情も、その人そのものではない|人間関係を楽にする視点
この見方は、自分にだけ使えるものではありません。
誰かが怒っている。
攻撃的な言葉を使う。
不機嫌そうにしている。
私たちはすぐに、
「あの人は怒りっぽい」
「嫌な人だ」
と、その瞬間の感情をその人そのものにしてしまいます。
でも、
この怒りの後ろには何があるのだろう
と一度考えてみる。
不安なのかもしれない。
自分の立場を守ろうとしているのかもしれない。
期待していたのかもしれない。
傷ついたのかもしれない。
もちろん、こちらが勝手に相手を分析する必要はありません。
「本当は寂しいんだな」などと決めつけるのも違います。
ただ、
感情=その人そのもの
と即断しない。
「あの人の中でも、何かが反応しているのだろう」
くらいに留めてみる。
それだけでも、人を見る角度は少し変わります。
感情が生まれてから行動するまでの「3つの段階」
ここまでを簡単に整理すると、感情には少なくとも三つくらいの場所があるように見えます。
まず、
身体や脳が反応し始める。
次に、
「自分はいま怒っている」「不安なんだ」と気づく。
そして、
その感情を使って、どう振る舞うか。
たとえば怒りなら、
カッとする。
「あ、自分は怒っている」と気づく。
そのあと、怒鳴るのか、黙るのか、少し離れるのか。
全部が完全に自由なわけではない。
でも、全部が完全に自動というわけでもない。
後ろへ進むほど、少しずつ自分が関われる余地が出てくる。
そのくらいに考えておけば十分だと思います。
文明は新しい。でも、人間OSはそれほど新しくない|現代環境と古い反応システム
ここで、前の記事で考えた進化の話ともつながります。
人間は長いあいだ、
危険に早く気づく。
未知のものを警戒する。
集団の中での自分の位置を気にする。
失うことを避ける。
そうしたことに意味のある環境を生きてきました。
もちろん、現代の不安や怒りのすべてを進化で説明することはできません。
そんなに単純ではない。
ただ、
人間には、じっくり考える前に反応する仕組みがある
と考えると、その長い歴史が少し透けて見える気がします。
一方、現代には、
仕事のメールがあります。
SNSがあります。
既読があります。
数字で評価されます。
知らない人の成功まで毎日目に入ります。
環境は猛烈な速さで新しくなった。
でも、それを受け取る人間OSは、そこまで急には新しくなっていない。
文明は新しい。
でも、人間OSはそれほど新しくない。
だから、分かっているのに反応する。
そこには、それほど不思議なことはないのかもしれません。
感情を消す(コントロールする)のではなく、「観察する」
では、どうすればいいのか。
ここまで書いておいてですが、今回は方法論を並べたいわけではありません。
SNSから離れる。
よく眠る。
少し時間を置く。
そんなことは、もう多くの人が知っています。
それでもイラつくから困っている。
今回考えたいのは、そのもう少し手前です。
不安になったとき、
「また不安になってしまった」
と自分を責める前に、
「ああ、いま何かに反応しているんだな」
と見る。
少し余裕があれば、
「この感情の後ろには何があるんだろう」
と見る。
さらに、
「この感情で、自分は何をしようとしているんだろう」
と見る。
感情を操作するというより、観察する。
感情そのものから半歩だけ離れる。
Re: Traderでいう人間OSとは、たぶんこういうものを見るための言葉でもあります。
身体。
脳。
記憶。
感情。
認知。
学習。
環境。
そして、その奥にある進化の長い時間。
その全部が重なって、いまの自分が反応している。
そう考えると、
「どうして自分はこんなふうなんだ」
という問いが、
「いま、自分の中で何が起きているんだろう」
に変わります。
感情を完全に操ることはできない。
だからといって、すべて感情の言いなりになる必要もない。
感情に振り回されている自分から、感情を眺めている自分へ。
ほんの少し立ち位置を変える。
今回は、そのくらいの話です。
「頭で分かっていても行動できないとき」や
「本を開く気力が出ない夜」でも、音声ならすんなり頭に入ってくることがあります。
Re:Trader ─ トレードからはじまる行動と心理のノートをもっと見る
購読すると最新の投稿がメールで送信されます。
