「時間を無駄にしてはいけない。」
そんな言葉を、一度は聞いたことがあると思います。
けれど私は最近、この言葉に少し違う見方ができるようになりました。
時間は、使えば無駄にはならない。
むしろ、本当に消えてしまうのは、「使わなかった時間」の方ではないか。そんなことを考えるようになったのです。
もちろん、ここでいう「使う」とは、仕事をすることでも、勉強をすることでもありません。
休日にゆっくり本を読むことも、何もしないで昼寝をすることも、好きな音楽を聴きながらぼんやり過ごすことも、立派に時間を使っています。
時間は、何かに姿を変えて、人生の中に残っていくからです。
時間は消えない。使えば必ず「別の何か」に姿を変える
仕事に使った時間は、成果や経験になります。
読書に使った時間は、知識や新しい視点になります。
旅行に使った時間は、景色や思い出になります。
誰かと過ごした時間は、人との関係になります。
失敗した時間でさえ、判断材料として残ります。
そして、ゆっくり休んだ時間は、身体や心の回復になります。
つまり、時間は使われた瞬間に、別の何かへと姿を変えているのです。
だから私は、「時間を使ってしまった」という表現に、少し違和感があります。
使った時間は消えたのではありません。
経験や記憶として、形を変えて人生に残っています。
本当に消えていくのは、「選ばないまま流れた時間」
では、何が「消えてしまう時間」なのでしょう。
私はそれは、
「また今度にしよう。」
「時間ができたら始めよう。」
「今日は何となく気分が乗らない。」
そんなふうに思いながら、何も選ばないまま流れていった時間ではないかと思っています。
ここで誤解してほしくないのは、「休むこと」が悪いと言いたいわけではありません。
休もうと決めて休んだ時間は、休息に使った時間です。
映画を楽しむと決めたなら、それは娯楽に使った時間です。
好きな音楽を流しながら、ぼんやり窓の外を眺めていた午後も、きっと人生に残っています。
問題なのは、
休んでいるのに休めていない。
何もしていないのに焦っている。
何をしたいのかも決められず、ただ時間だけが過ぎていく。
そんな時間です。
案外私たちは、忙しかった日は覚えています。
旅行へ行った日も、誰かと笑った夜も覚えています。
ところが、「何となく終わった休日」は、不思議なくらい輪郭がありません。
振り返ったとき、「あの日は何をしていたんだろう」と思い出せない時間だけが、何にも姿を変えずに消えていくような気がしています。
「時間だけは誰にでも平等」という言葉を、私が疑う理由
よく、
「時間だけは誰にでも平等だ。」
と言われます。
確かに、一日は誰にとっても二十四時間です。
時計が刻む時間は平等でしょう。
でも、人生の時間まで本当に平等でしょうか。
健康な人と、病気と向き合っている人。
二十歳の人と、八十歳の人。
仕事や子育て、介護など、それぞれ違う生活を送る人。
同じ一時間でも、その意味や重さは決して同じではありません。
だから私は、「時間だけは平等」という言葉よりも、
時計だけは平等
と言った方が近いように思っています。
人生に与えられた条件は、人それぞれ違います。
だから比べるべきなのは、他人の時間の使い方ではなく、自分がその時間を何に変えていくか、なのだと思います。
時間の「長さ」ではなく、「密度」で生きる(在来線での気づき)
少し前、久しぶりに在来線へ乗る機会がありました。
普段の私は、ほとんど車で移動します。
目的地まで効率よく移動できるので、それが当たり前になっていました。
その日は往復で三時間近く、電車に揺られていました。
特別な出来事があったわけではありません。
窓の外を眺めたり、本を読んだり、向かいに座る人を何となく観察したり。
それだけです。
でも、その三時間は思った以上に濃く感じられました。
車では、目的地へ向かうことが主役になります。
一方で電車は、その途中の時間そのものを味わう乗り物なのかもしれません。
知らない人たちが、それぞれの目的地へ向かっている。
窓の外の景色がゆっくり流れていく。
普段なら気にも留めないような時間が、少しだけ新鮮に感じられました。
人生は、時間の長さだけでできているのではありません。
その時間に、自分の意識がどれだけ参加していたか。
そんな「密度」もあるのではないでしょうか。
同じ三時間でも、心がそこにいる時間は、あとから振り返ったときに、少し長く人生に残るような気がします。
人生はたったの4000週間。「すべてはやらない」と決める勇気
人生八十年を、およそ四千週間と考える見方があります。
四千週間。
数字にすると、思ったより少なく感じます。
この数字を聞いて、「焦る」と感じる人もいるかもしれません。
でも、私は少し違いました。
むしろ、「全部やろうとしなくてもいい」と思えたのです。
人生が有限だからこそ、
全部手に入れようとしなくてもいい。
全部経験しようとしなくてもいい。
限りがあるから、選ぶ意味が生まれます。
ある本を読むということは、別の本を読まないということでもあります。
誰かと過ごす時間は、別の場所へ行かないという選択でもあります。
休むこともまた、大切な選択です。
有限だからこそ、私たちは「何をするか」だけでなく、「何をしないか」も選びながら生きています。
「時間」は管理できない。私たちが管理できるのは「自分の選択」だけ
「時間管理」という言葉があります。
でも、時間そのものは管理できません。
今日を二十五時間にすることも、一昨日へ戻ることもできないからです。
私たちが管理できるのは、時間ではなく、その中での選択です。
一日のすべてを自由に決められる人はいません。
仕事もあります。
家庭もあります。
身体が思うように動かない日もあります。
それでも、その中の十分でも三十分でも、自分で選んだ時間を持つことはできます。
本を読む。
散歩する。
誰かへ連絡する。
何もしないと決めて、安心して休む。
その小さな選択が、時間を人生へと変えていくのだと思います。
おわりに:今日という時間を、何に変えようか
時間は、使えば何かに姿を変えます。
経験に。
記憶に。
失敗に。
人との関係に。
あるいは、静かな休息に。
だから私は、「時間を無駄にしない方法」よりも、「今日は何に時間を変えようか」と考えてみたいのです。
その問いだけでも、一日の見え方は少し変わる気がします。
そして、私が時間についてここまで考えるようになったきっかけがあります。
数年前、私は大きな病気を経験しました。
幸いにも、その時間を乗り切ることができました。
けれど、あの日を境に、時間は同じ速度で流れているのに、まったく違うものに見えるようになったのです。
その話は、次の記事で書いてみようと思います。
※本記事は、「時間と選択」をテーマにした2部作の【第1部】です。
(第2部:『終着点を意識した日から、時間の見え方は変わった。――人生の残り時間と、人間OSの仕様』)
移動中や家事の合間など、何気なく過ぎていく時間を「自分だけの濃密な時間」に変える手段として、オーディオブック(Audible)で本を聴くのもおすすめです。
画面を見ず、耳だけで言葉に耳を傾ける時間は、忙しい日常の中に静かな余白を作ってくれます。
参考書籍:『限りある時間の使い方』オリバー・バークマン著
本記事で触れた「人生は約4000週間しか存在しない」という視点を、より深く解剖した一冊です。
効率よくタスクをこなすための時間管理術ではなく、「人間の時間は有限であり、すべてをやり切ることは不可能である」という現実を静かに受け入れることから展開されます。
「時間を効率的に使わなければ」という焦りを手放し、限られた時間の中で何を選び、何を諦めるか——自分の手の中に時間を取り戻したい方に、ぜひ読んでほしい名著です。
Re:Trader ─ トレードからはじまる行動と心理のノートをもっと見る
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