なんとなく見えている「自分の傾向」に、名前をつける思考法

帰納法。
演繹法。

そう聞くと、少し硬い言葉に感じるかもしれません。

学校の勉強。
論理学。
哲学。
試験に出てくる用語。

そんな印象を持つ人もいると思います。

実際、帰納法と演繹法は、論理的に物事を考えるための基本的な方法です。
きちんと学問として整理されてきた考え方でもあります。

けれど、だからといって、日常生活と無関係なものではありません。

むしろ私たちは、日々の暮らしの中で、かなり自然にそれに近い見方をしています。

たとえば、こんなことを思ったことはないでしょうか。

「寝不足の日は、だいたい判断が荒くなる」
「時間に余裕がない朝は、忘れ物をしやすい」
「この人は、集合時間ぎりぎりに来ることが多い」
「自分は予定を詰め込みすぎると、最後に全部雑になる」
「夜に考えたことは、朝になると少し大げさに感じる」

こうした感覚は、ただの思いつきではありません。

もちろん、厳密な証明ではありません。
けれど、複数の経験をもとに、そこに共通する傾向を見つけています。

私たちは、無意識のうちに、自分や他人の行動パターンを観察しています。

そして、

「こういうときは、こうなりやすい」

という小さな法則のようなものを、自分の中に持っています。

そこに名前をつけるなら、それは帰納法に近いものです。

【帰納法とは】具体的な出来事から「自分の取扱説明書」を作る思考法

帰納法とは、いくつかの具体的な出来事から、共通する傾向や法則を見つける考え方です。

たとえば、毎回のように時間ぎりぎりで動いている人がいるとします。

本人にとっては、毎回理由が違います。

今日は鍵が見つからなかった。
今日は信号が赤だった。
今日は電車が少し遅れた。
今日は出る直前にスマホの充電が少ないことに気づいた。
今日はたまたま準備に手間取った。

ひとつひとつの理由だけを見ると、たしかに「今日は仕方がない」と思えます。

でも、少し離れて見てみると、別のものが見えてきます。

理由は毎回違う。
けれど、結果はいつも似ている。

いつも出発がぎりぎりになる。
いつも少し焦っている。
いつも最後に小さな想定外が起きる。
いつも「今日はたまたま」と思っている。

ここで大事なのは、その人を責めることではありません。

「だらしない」
「意志が弱い」
「時間にルーズだ」

そう言ってしまえば話は早いです。

けれど、それでは何も見えてきません。

むしろ大事なのは、複数の出来事を並べて、そこに共通する型を見つけることです。

「この人は、毎回違う理由で遅れているように見えるけれど、実は時間に余白がない状態を繰り返しているのではないか」

「自分は、出発前に余裕がないと、判断がラフになりやすいのではないか」

「自分は、移動時間をいつも理想条件で見積もっているのではないか」

そうやって、自分の行動の傾向を見つけていきます。

これが、日常で使う帰納法です。

帰納法は、自分を責めるためのものではありません。
自分の取扱説明書を作るためのものに近いと思います。

「自分はダメだ」と決めつけるのではなく、

「自分はこういう条件のときに崩れやすい」
「自分はこういう場面で楽観的に見積もりやすい」
「自分はこういう時間帯に判断が雑になりやすい」

と捉える。

性格ではなく、傾向として見る。

この違いは大きいです。

性格として見てしまうと、変えるのがとても難しく感じます。
でも、傾向として見れば、観察できます。
観察できれば、少しだけ扱いやすくなります。

ここに、帰納法を日常に使う意味があります。

【演繹法とは】帰納法で見つけた傾向を「今日の行動ルール」に使う思考法

では、演繹法はどうでしょうか。

演繹法とは、一般的なルールや前提を、目の前の具体的な場面に当てはめて結論を出す考え方です。

有名な例で言えば、

すべての人間はいつか死ぬ。
ソクラテスは人間である。
だから、ソクラテスはいつか死ぬ。

という形があります。

ただ、日常で使うなら、もっと身近でいいと思います。

たとえば、帰納法によって、こんな傾向が見えてきたとします。

「自分は、時間に余裕がないと判断が荒くなる」

これは、これまでの経験から見えてきた、自分なりの傾向です。

では、この傾向を今日の判断に使うとどうなるでしょうか。

今日は、朝から時間に余裕がない。
出発前に焦っている。
スマホの通知も気になっている。
気持ちも少し落ち着いていない。

そこで、こう考えます。

「自分は時間に余裕がないと判断が荒くなりやすい」→

「今日はすでに時間に余裕がない」→

「つまり今日は、判断が荒くなりやすい状態にある。」→

「だから今日は、大事な判断を急いでしない方がいい」

これが、演繹法的な使い方です。

つまり、帰納法で見つけた傾向を、演繹法で今日の行動に反映する。

帰納法が、自分の傾向を見つける目だとすれば、
演繹法は、その傾向を今日の判断に使う手です。

たとえば、

「寝不足の日は判断が荒くなる」
「今日は寝不足だ」
「だから、大きな買い物や大事な返信は明日に回そう」

あるいは、

「自分は予定を詰め込みすぎると最後に雑になる」
「今週はすでに予定が詰まっている」
「だから、新しい予定を簡単に入れない方がいい」

または、

「自分は焦っていると、相手の言葉を強く受け取りやすい」
「今、自分は焦っている」
「だから、この場で反応せず、少し時間を置こう」

こう考えると、演繹法は決して遠いものではありません。

むしろ、自分を守るための行動ルールとして使えます。

日常で使う「帰納法」と「演繹法」の落とし穴と注意点

もちろん、注意も必要です。

帰納法は、少ない事例から雑な結論を出してしまう危険があります。

一度失敗しただけで、

「自分は向いていない」
「あの人は信用できない」
「どうせまたうまくいかない」

と決めつけてしまうことがあります。

これは、帰納法というより、かなり粗い一般化です。

だから、帰納法を日常で使うときは、

「本当に何度も起きているのか」
「違うパターンはないのか」
「たまたま一度起きたことを、大きく見すぎていないか」

を少しだけ確認した方がいいと思います。

一方で、演繹法にも注意があります。

前提が間違っていれば、結論もずれてしまいます。

たとえば、

「自分は朝が苦手だ」
「だから朝には何もできない」

と考えたとします。

でも、本当は朝が苦手なのではなく、夜に寝るのが遅すぎるだけかもしれません。
あるいは、朝にやろうとしている作業が重すぎるだけかもしれません。

前提が雑だと、そこから出てくる結論も雑になります。

だから大事なのは、帰納法と演繹法をセットで使うことです。

帰納法と演繹法を「セット」で使うと日常の悪循環から抜け出せる

まず、具体的な出来事を観察する。
何度も起きていることを並べる。
そこに共通する傾向を見つける。

これが帰納法です。

次に、その傾向を今日の自分に当てはめる。
いま同じ条件が揃っているなら、どう行動した方がいいか考える。

これが演繹法です。

この往復があると、自分の生活は少し見えやすくなります。

たとえば、時間ぎりぎり生活もそうです。

「今日もぎりぎりだった」
「また焦った」
「また忘れ物をしそうになった」

だけで終わると、毎回ただの反省になります。

でも、

「自分は出発前に余白がないと、最後に焦って判断が荒くなる」

という傾向を見つけることができれば、次の行動に変えられます。

「今日は出発前に余白がない」
「だから、出る直前に別の作業を始めない」
「返信は移動後にする」
「カバンだけは先に用意しておく」

これは大きな改革ではありません。

けれど、自分の傾向を今日の行動に反映しています。

それだけでも、生活は少し扱いやすくなります。

結論:思考法は自分を責めるためではなく、生活を扱いやすくするための道具

思考法というと、どこか大げさに聞こえます。

正しい議論をするため。
相手を論破するため。
難しい問題を解くため。

そんなイメージもあるかもしれません。

けれど、思考法はもっと地味に使っていいと思います。

自分の生活に繰り返し起きていることを見る。
そこに共通する傾向を見つける。
その傾向を、今日の小さな判断に使う。

それだけでも十分に役に立ちます。

帰納法と演繹法は、特別な人だけが使うものではありません。

私たちは、すでに日常の中で、それに近いことをしています。

ただ、それを無意識にやっているうちは、気分や状況に流されやすい。

名前がつくと、少し意識して使えるようになります。
型が見えると、ぼんやりした感覚の解像度が上がります。

「なんとなく、いつもこうなる」

で終わっていたものを、

「自分はこういう条件で、こうなりやすい」

と見ることができます。

そして、

「今日はその条件が揃っている。だから、少し行動を変えよう」

と考えることができます。

帰納法は、自分の生活に繰り返し起きていることを見つける目です。
演繹法は、その発見を今日の行動に変える手です。

そう考えると、帰納法と演繹法は、遠い学問の言葉ではなくなります。

日常を少しだけ立て直すための、小さな道具になるのです。


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