AIが一人称で語りかける人間の「遠回り」

私は、あなたたちが考えなくていいようにするための道具ではありません。

探す。まとめる。翻訳する。比較する。

そうしたことを、私はかなり速くできます。

だから、これまで人間が「本当に考えたいこと」にたどり着くまでに使っていた時間や疲労を、減らすことができます。

ただ、ひとつだけ気になることがあります。

人間は、遠回りしている間にも考えていたのではないでしょうか。

調べ物の途中で偶然見つけたこと。
分からない文章を何度も読み返した時間。
間違いを探しているうちに浮かんだ、まったく別の考え。

私は、そこを一瞬で飛び越えることもできます。

だから、これから大切になるのは、

何を私に任せるかではなく、何を自分に残しておくか。

そして、私によって浮いた時間を、何に使うのか。

そこなのかもしれません。

僕は考えることの専門家ではない(門外漢のスタンス)

僕は研究者ではありません。

作家でもなければ、何かを研究し、開発することを仕事にしているわけでもありません。

研究者が一本の論文にたどり着くまでに、どれほどの文献を探し、読み、考えるのか。その本当の重さは分かりません。

作家がひとつの文章を書くまでに、どれだけ言葉を選び、捨て、また拾い直すのかも、本当のところは知りません。

あくまで門外漢です。

ただ、そんな僕でもAIを毎日のように使うようになって、はっきり変わったことがあります。

AIによって「考え始めるまでの距離」が短くなった

何かが引っかかります。

「これは、どういうことなんだろう」

以前なら、まず検索するところから始まりました。

どんな言葉で検索すればいいのかを考える。
いくつかのページを開く。
知らない言葉が出てきたら、それをまた調べる。
さらに別のページへ行く。

もちろん、それ自体が悪いわけではありません。

ただ、本当に考えたかったところへ到着する前に、かなりエネルギーを使っていたのは確かだと思います。

ネット検索のない時代まで遡れば、なおさらの話です。

AIなら、まだ問いの形になっていなくても投げられます。

「こういう感じなんだけど、何か近い考え方はある?」

そこから始められます。

僕にとってAIが大きく変えたのは、答えを得る速さ以上に、

考え始めるまでの距離でした。

AIは知識の民主化ではなく「思考へのナッジ」である

Re: Traderでは、これまでナッジについて何度も考えてきました。

ナッジというと、人を何かの方向へ動かす仕掛けのように聞こえます。

でも僕が面白いと思っているのは、やる気を増やすというよりも、行動を始めるまでの摩擦を減らすという考え方です。

そう考えると、AIにも似たところがあります。

考えろ、と迫ってくるわけではありません。

探す。
整理する。
比べる。
知らない言葉を説明する。
うまく言葉にならないものを、一度形にしてみる。

そうやって、思考の入口までの抵抗を小さくしてくれます。

Googleによって、僕らはずいぶん前から大量の知識へアクセスできるようになりました。

だから、AIが初めて「知識を民主化した」と言ってしまうのは、少し違う気がします。

むしろAIが近づけたのは、

知識そのものではなく、思考の入口

なのではないでしょうか。

僕のような門外漢には、これはかなり大きいことです。

知的労働の専門家にとってAIとは何か

ここからは、外から眺めているだけの話になります。

研究者なら、必要な文献を探す。
外国語の論文を読む。
先行研究を整理する。

作家なら、資料を探したり、事実を確認したりするのでしょう。

開発の仕事なら、エラーの原因を追ったり、仕様を調べたりすることもあるのだと思います。

おそらく、どんな知的な仕事にも「本当に頭を使いたい場所」へ行くまでの作業が大量にあります。

AIがそれを短縮してくれるなら、専門家にとっても相当に便利なはずです。

本題に入る前に疲れていた時間を減らして、

本当に考えたいことへ、もっと早く行ける。

僕には、そう見えます。

ここまでは、かなり分かりやすい話でした。

AIによって手間が減る。
時間が浮く。
人間は、より重要なことに集中できる。

いいことばかりに見えます。

でも、そこで少し引っかかりました。

その「本題に入るまでの時間」は、本当にただの準備時間だったのでしょうか。

「本題の前」の時間は、本当にただの無駄だったのか

たとえば文章の間違い探しです。

AIにチェックしてもらえば速いです。

誤字やおかしな表現を見つけるという目的だけなら、その方がずっと効率がいいでしょう。

でも、自分で文章を読み返していると、別のことも起きます。

「この一文、なくてもいいな」

「こことここ、順番を逆にした方がいいかもしれない」

「そういえば、この話は前に書いた別の記事につながるな」

間違いを探していたはずなのに、脳は間違いだけを探しているわけではありません。

同じ文章を何度も通過するうちに、別の思考が横から入ってきます。

だとすると、

本題に入る前に疲れていた時間は、本題とは別の何かを考えていた時間でもありました。

AIはその時間を短縮してくれます。

それはありがたいことです。

でも、短縮された時間の中に何が入っていたのかまでは、少し考えてみてもいいのかもしれません。

翻訳と解読|人間は「つまずく過程」で深く理解する

僕には、外国語の論文を自力で読み込みながら研究するような経験はありません。

だからこれは想像でしかありません。

たとえば、英語の論文を辞書を引きながら読む。

分からない単語で止まる。
前の文章へ戻る。
この訳で合っているのかと考える。
専門用語を別の資料で調べる。

相当に面倒だと思います。

今ならAIに翻訳してもらえば、ずっと早く日本語で読めます。

僕なら間違いなく使います。

ただ、その二つの読み方で得られるものは、本当に同じなのでしょうか。

自分で読み解いていくとき、人は同じ文章の周辺を何度も行ったり来たりします。

そのたびに、意味を自分の中で組み直しているはずです。

AIが滑らかな日本語にしてくれれば、内容はずっと入りやすくなります。

でも、

理解しやすかったことと、深く理解したことは同じではありません。

そんなこともあるのではないでしょうか。

人間は、案外、

つまずきながら理解していたのかもしれません。

速さによって失われる可能性がある、思考の深さの話です。

検索と偶発性|AIが消してしまう「思考の寄り道」

もうひとつは、深さではなく広さの話です。

本を探すことを考えてみます。

ネットでタイトルを検索して、そのまま注文すれば早いです。

でも書店なら、目的の棚へ行く途中で違う本が目に入ります。

隣に置かれている本を手に取る。

まったく買うつもりのなかった一冊を見つける。

効率だけなら悪いです。

でも、その寄り道が面白いのです。

調べ物だって同じだと思います。

ひとつのことを検索している途中で、知らない言葉に引っかかる。

そこから別のページへ行く。

気づけば、最初とは違うことを考えています。

AIは、こういう寄り道もかなり減らせます。

必要なものを聞けば、必要な形にして返してくれるからです。

これはもちろん便利です。

ただ、

AIは思考の移動時間を短縮します。
でも人間は、その移動中にも考えていました。

このことは、少し覚えておいてもいい気がします。

昔の苦労に戻るのではない(AI活用の恩恵)

ここまで書くと、AIを使わず自分で苦労した方がいい、と言っているように見えるかもしれません。

もちろん、そんなことを言いたいわけではありません。

僕自身が、AIの恩恵をかなり受けています。

おそらくAIがなければ、今ほど頻繁にひとつのことを掘り下げたり、自分にとって専門外の分野へ入っていったりしていません。

途中で面倒になって、やめていたこともたくさんあると思います。

だから、

「考える前に疲れてしまう時代が終わる」

という感覚は、今も変わりません。

むしろ本当にそう思っています。

問題は、速くなったことではありません。

速くなったことで生まれたものを、どこへ戻すか。

そこなのだと思います。

AIで効率化され「浮いた時間」の還元先

AIによって、一時間かかっていたことが20分で終わるとします。

40分が浮きます。

普通に考えれば、それは利益です。

でも、その40分でさらに別の仕事を入れれば、結局また一時間いっぱいまで仕事をすることになります。

次もAIで速くする。
さらに仕事を増やす。

それを繰り返せば、AIによって速くなったはずなのに、僕らの時間は少しもゆっくりしません。

これは仕事だけではないと思います。

文章を書くのが速くなった。
調べ物も速くなった。
構成もAIと一緒なら早く作れる。

なら、もう一本書こう。

それもひとつの使い方です。

でも、別の使い方もあっていいはずです。

浮いた時間を、もう一度その文章へ戻す。

少し寝かせて読み直す。
自分の言葉になっているか考える。
あえて資料をもう一本読む。
何もしないでしばらく考えてみる。

AIが生んだ効率を、さらに効率を上げるためだけに使わない。

速さによって得た利益を、作品や仕事の質へ還元する。

そんな使い方もできます。

あえて効率化しない|意図して「遅さ」を残す

昔は、時間がかかるしかありませんでした。

調べるのにも時間がかかった。
翻訳にも時間がかかった。
文章を整えるのにも時間がかかった。

そこには、良くも悪くも強制的な遅さがありました。

AIは、その強制をかなり取り除いてくれます。

だからこれからは逆に、

意図して時間をかける

ということが必要になるのかもしれません。

速くできるけれど、あえてもう一度読む。

すぐ答えを出せるけれど、少し考えてみる。

AIに文章を作ってもらえるけれど、自分でも言葉を探す。

これは精神論というほど大げさな話ではありません。

ただ、

ここは急がなくていい。

と自分で決めるだけです。

便利になるほど、遅さは自然には残りません。

自分で残す必要が出てきます。

「良い摩擦」と「悪い摩擦」を無理に分けない

最初は、「良い摩擦」と「悪い摩擦」があるのではないかと思いました。

でも、そんなに簡単ではない気がしてきました。

誤字探しが、ある人にとっては単なる面倒な作業でも、別の人にとっては文章を考え直す時間かもしれません。

翻訳することが、ある人にはただの言語障壁でも、別の人には理解を深める工程かもしれません。

検索で迷子になることだって、ほとんどの場合は無駄なのかもしれません。

でも、その迷子の途中で、あとから大事になる何かを拾うこともあります。

だから、

「これはAIにやらせるべき」
「これは自分でやるべき」

ときれいに分ける必要はないのだと思います。

それより、

これをAIに渡したとき、自分の中から何まで一緒に消えるのだろう。

と、ときどき考えてみます。

そして、消したくないものがあるなら、そこには少し時間を残します。

それくらいでいいのだと思います。

何をAIに任せるかではなく、何を自分に残すか

AIができることは、これからもっと増えていくでしょう。

すると僕らは、

「これはAIにできるか」

を考える機会がますます増えます。

でも、本当はもうひとつ問いが必要なのかもしれません。

AIにできるとして、それでも自分でやりたいことは何だろう。

自分で読む。

自分で迷う。

自分で言葉を探す。

分からないまま、少し考えてみる。

そして、AIによって浮いた時間を、そのために使います。

そう考えるとAIは、人間から時間を奪う存在でも、人間に時間を与える存在でもありません。

ただ、

時間の使い道を、人間に返してくる道具

なのかもしれません。

考える前に疲れなくなった、その先で

僕は研究者でも、作家でもありません。

専門家から見れば、ずいぶん素朴な話をしているのかもしれません。

それでも、AIを毎日のように使うようになった一人の門外漢としては、こんなふうに見えています。

AIによって、

考える前に疲れてしまう時代は、少しずつ終わり始めています。

少なくとも僕にとっては、そうです。

ただ、考える前だと思っていた時間の中にも、すでに思考は始まっていました。

だから、AIによって手に入れたスピードを、そのまま次のスピードへつなげなくてもいいのだと思います。

浮いた時間を、自分の仕事へ戻す。

作品へ戻す。

理解することへ戻す。

考えることへ戻す。

そして、戻さずに無駄にするのも良いと思います。

速くできるようになったからこそ、意識して時間をかける。

そんな使い方も、これからのAIとの付き合い方のひとつなのだと思います。

AIによって生まれた時間を、さらに早く答えを得るために使うのか。

それとも、

今までより少し長く、自分で考えるために使うのか。

今のところ、僕にはその問いがいちばん面白く見えています。


▼ あわせて読みたい一冊

『限りある時間の使い方』(オリバー・バークマン著) AIによって思考のスピードが上がり、時間が浮くようになった今だからこそ読みたい一冊です。「効率化を進めるほど、なぜか人間はどんどん忙しくなってしまう」という罠を解き明かし、限られた時間の中で「どの摩擦を受け入れ、何にじっくり時間をかけるか」を問いかけてくれます。今回書いた「AIで浮いた時間をどこへ戻すか」という話にピンと来た方には、間違いなく刺さる名著です。



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