手術をして入院しました。
手術そのものへの不安もありましたし、術後には当然、痛みもありました。
身体を動かすことが思うようにいかない。
寝返りひとつにも少し身構える。
この痛みはいつまで続くのだろう、と考える。
幸い、時間とともに身体は回復してきました。
そして退院して日常に戻りつつある今、少しだけ以前とは違う感覚があることに気づきました。
同じニュースなのに、少し違って見える
テレビで、戦争や災害のニュースを見るときです。
怪我をした人が運ばれている。
病院のベッドに横たわっている。
家族がそのそばにいる。
もちろん、以前からそうした映像を見れば「大変だろうな」と思っていました。
痛いだろう。
怖いだろう。
不安だろう。
それくらいのことは想像していたつもりです。
でも今回、自分自身が手術を受け、痛みや不安を実際に経験してみると、その「想像」の中身が少し変わりました。
たとえば、怪我をしている人を見たとき。
その瞬間の痛みだけではなく、そのあと眠れるのだろうか、身体を動かすたびに痛むのだろうか、この先どうなるのかという不安を抱えているのだろうか、と考えるようになりました。
分かったのではなく、想像の手がかりが増えた
もちろん、分かるわけではありません。
自分が経験した手術と、戦争や災害の中で負った怪我では、状況も痛みも恐怖もまったく違います。
「自分も痛い思いをしたから、その人の気持ちが分かる」
そんなことを言いたいわけではありません。
むしろ逆なのかもしれません。
自分が少し痛い思いをしたことで、
「ああ、自分はこれまで、ずいぶん大雑把にしか想像していなかったんだな」
と思うようになりました。
知らなかったわけではない。
想像力がまったくなかったわけでもない。
ただ、自分の中に参照できる経験がなかった。
今回、ほんの少しだけそれができた。
すると、同じニュースを見ても、以前とは少し違うところまで想像が伸びるようになりました。
経験は、誰かを想像するための参照点になる
経験というものには、こんな働きもあるのかもしれません。
経験は、自分の人生について知るためだけのものではない。
自分が経験していない、誰かの人生を想像するための手がかりにもなる。
失敗したことがあれば、失敗した人を少し違って見られる。
不安で眠れなかったことがあれば、眠れない誰かを少し想像できる。
身体が思うように動かなかったことがあれば、日常の動作に苦労している人の世界をほんの少し想像できる。
だからといって、その人のことが分かるわけではありません。
たぶん、人の経験を本当の意味で完全に分かることなどできないのでしょう。
それでも、自分の中に経験がひとつ増えることで、以前は届かなかった場所まで想像が少し伸びることはある。
見え方が、少しだけ変わる
今回の入院で、何か大きな人生観を得たとは思っていません。
病気をしたから成長した、と言うつもりもありません。
ただ、以前よりほんの少しだけ、テレビの向こうにいる誰かについて考える時間が長くなりました。
世界が変わったわけではありません。
自分の見え方が、少しだけ変わった。
それくらいのことです。
でも、Re: Traderでずっと考えてきたのも、案外こういうことなのかもしれません。
見え方が少し変わる。
その小さな変化によって、昨日までとは少し違う世界が見える。
今回の経験から、自分の中にひとつ、そんな「少し」が増えました。
入院中、身体がうまく動かない時期の娯楽についても、少しだけ書いておきます。
首や腕の痛みが強くて画面を見るのも辛く、スマホを手に持ち続ける体力もなかった頃、唯一の助けになったのが耳で聴く読書(オーディブル)でした。
目を閉じたまま、文字を追うエネルギーすら要らず、ただ声だけが流れてくる。 退屈を埋めるというより、痛みに支配されそうな頭の中に、少しだけ別の余白をつくるような時間でした。
もしこれから入院や静養を控えている方がいたら、手元にひとつ置いておくと救われる場面があるかもしれません。無料体験もあるので、静かなお守り代わりに試してみるのもいいと思います。
Re:Trader ─ トレードからはじまる行動と心理のノートをもっと見る
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