欲に押されて前へ出ることは、人間の自然な動きなのかもしれません。
けれど、いつも進み続けることだけが知恵とは限らない。
この記事では、『マネーの公理』の言葉も手がかりにしながら、欲の熱に飲まれたときにいったんホームポジションへ戻ることの意味を、相場だけでなく仕事や人間関係にもひらいて考えます。

マックス・ギュンターの『マネーの公理』は、投資のハウツー本というより、リスクと欲望をどう扱うかをめぐる、少し乾いた知恵の本です。

その中に、こんな言葉があります。

「常に早すぎるほど早く利食え」
『マネーの公理』The Zurich Axioms では、第二の公理「On Greed(強欲について)」として
“Always take your profit too soon.” と書かれ、さらに

“Decide in advance what gain you want from a venture, and when you get it, get out.” (あらかじめどれだけの利益がほしいのかを決めておけ。そして、それを手に入れたら投機から手を引くのだ。)と続きます。 

乱暴にも聞こえるこの言葉は、たぶん単なる投資テクニックではありません。

もっと取れるかもしれない。
ここで降りたらもったいない。
今回こそは。

そうした欲の熱が乗り移る前に、いったん場を離れる。

そのことで、自分を壊さず、またやり直せる位置へ戻る。

そう読むなら、この言葉は相場だけでなく、仕事や人間関係や人生全体にも通じるのかもしれません。

ここまでのシリーズでは、欲の起源、不足感、暴走、欲そのものの輪郭、そして欲との向き合い方を見てきました。

欲は、生きるための火でもありました。

同時に、その火が熱を持ちすぎると、人を焦らせ、崩し、視野を狭めることもありました。

では最後に、一度こう考えてみたいのです。

人間にとって本当に必要なのは、いつも前へ出続けることなのでしょうか。

あるいは、ときには戻る知恵のほうが、ずっと大事なのではないでしょうか。

欲の引力:なぜ人は「その場」を離れられないのか?

欲の厄介さの一つは、人を前に押すことだけではありません。
人を、その場に居続けさせることにもあるのだと思います。

もう少し取れるかもしれない。
ここでやめたらもったいない。
せっかくここまで来たのだから。
今回こそは。
これで終わったら、自分の見立てが正しかったところまで見届けられない。

欲は、そう囁きます。

ここまでのシリーズで何度も見てきたように、欲は一回の局面を特別扱いさせます。
「今回だけ」
「ここだけ」
「今こそ」
という感覚を強くする。

だから人は、そこを離れづらくなる。
足りないときだけではありません。
むしろ少しうまくいっているとき、少し取れているとき、少し流れが来ているように見えるときにこそ、その場に居続けたい気持ちは強くなる。

これは相場だけの話ではないのでしょう。

仕事でも、ここで降りたらもったいないと思う。
人間関係でも、ここで引いたら負けたように感じる。
家庭でも、いま離れたら無責任な気がする。
生活全体の中で、人はしばしば「いまここ」に居続けることを、前進だと見間違えるのかもしれません。

けれど、本当にそうなのでしょうか。

「逃げ足」は敗北ではない。次を戦う自分を残すための戦略

ここで思い出したいのは、これまで何度も出てきた
一回より十回
という感覚です。

一回の欲は、その場に居続けることを選ばせます。
でも、十回の規律は、いったん戻ることを選ばせる。

これはかなり大きな違いです。

一回の局面だけを見ていると、離れることは敗北のように見えます。
もっと取れたかもしれない。
もっと伝えられたかもしれない。
もっと押せたかもしれない。
その「かもしれない」が、離れることを臆病に見せる。

でも十回で考えるなら、話は少し変わります。
ここで自分を壊さないこと。
ここで熱に飲まれ切らないこと。
ここでまたやり直せる自分を残すこと。
そのほうが、ずっと大きい。

だから「逃げ足が身を助ける」というのは、単に早く逃げたから助かった、という意味ではないのでしょう。
次を残したから助かった
ということなのだと思います。

いわゆる「勝ち逃げ」という言葉には、日本語では少しずるい響きがあります。
周囲がまだ戦っている中で、自分だけが先に降りる。
それは裏切りのようにも、弱気のようにも聞こえる。

でも、欲の熱が乗り移る前にその場を離れることを、自分の規律に対する誠実さだと考えるなら、見え方は変わります。
全部を取り切らないこと。
そこで終わらせすぎないこと。
まだ続けられる自分を残すこと。
それは、ずるさというより、かなり誠実な自己管理なのかもしれません。

心理的ホームポジションへの帰還。身体感覚で「0地点」を取り戻す

ここで使いたいのが、これまでも何度か触れてきた
心理のホームポジション
という感覚です。

戻るとは、ただ逃げることではありません。
何もかもを投げ出すことでもない。
そうではなく、いったん熱を下げて、もう一度やり直せる位置へ帰ることです。

頑張ったことは頑張った。
得たものもあった。
恩恵もあった。
だからこそ、全部をそこに置き切らず、いったん戻る。

0地点に戻る。
ニュートラルに戻る。
そして、そこからもう一度取り組む。

それは撤退というより、帰還なのだと思います。

ホームポジションというと少し抽象的に聞こえるかもしれません。
でも身体感覚で言えば、案外わかりやすいものかもしれません。

画面を閉じる。
深く息を吐く。
肩の力が抜けるまで待つ。
「いまは熱がある」と認める。
欲のまま動く時間ではないと知る。

そうやって、自分の中の速度を少し落とす。
そこまで戻れたとき、ようやく現実はまた別の顔を見せ始めます。

欲があることは止められない。
でも、欲が強くなった自分からいったん離れることは、少しずつ練習できるのかもしれません。

「粘り強さ」と「執着」の境界線。後悔を規律の保険料と考える

もちろん、ここで単純なことを言いたいわけではありません。
早く降りればいつも正しい。
さっさと逃げれば身を守れる。
そういう話にしたいわけではないのです。

後から考えれば、あのときもう少し粘れたのがよかった、ということもあるでしょう。
早すぎる判断で、自分から可能性を狭めてしまうこともある。
人生のすべてが、早めの撤収でうまくいくわけではありません。

ただ、それでもなお考えたいのは、
粘ること

欲に支配されて離れられなくなること
は、同じではないということです。

表面だけ見ると似ています。
どちらも、その場に留まっている。
どちらも、まだ終わっていない。
でも中身はかなり違う。

粘るときには、まだ現実が見えている。
修正する余白がある。
ここまでなら持てる、ここからは危ない、という線がまだある。
でも欲に支配されると、その線が曖昧になります。
「ここまでやったのだから」が増え、
「今やめたらもったいない」が増え、
「今回だけは特別だ」が増えていく。

そして、早く降りたあとに価格がさらに伸びたり、事態が好転したりすると、また別の欲が顔を出します。
早すぎたのではないか。
残っていればよかったのではないか。
ここでもまた、「もっと」が再燃する。

でも、その伸びた利益、その先に転がっていた可能性は、もう自分のものではなかったのかもしれません。
それは、規律を守ったことへの保険料のようなものだと考えるほうが、ずっと健全なのでしょう。

全部を自分のものにしようとしない。
取り切れなかったものを、自分の損だと数えすぎない。
この感覚は、かなり大事です。

仕事、家庭、人間関係。「一回」に固執せず、再び向き合える状態を保つ

この話は、やはり相場だけでは終わらない気がします。

仕事でも、もう十分伝わっているのに、なお押し切ろうとして壊すことがあります。
人間関係でも、ここでやめればよかったのに、もう一言で関係をこじらせることがあります。
家庭でも、熱を持ったまま正しさを通そうとして、お互いに消耗することがあります。

人はときどき、前へ出続けることだけを強さだと思ってしまいます。
でも本当は、戻れることもまた強さなのではないでしょうか。

いったん離れる。
仕切り直す。
やり直せる位置を守る。
それは消極的なことではなく、長い目で見ればかなり積極的な知恵です。

一回の勝負で全部を決めようとしない。
一回の会話で全部をわからせようとしない。
一回の局面で全部を回収しようとしない。
そのかわり、自分をホームポジションへ戻し、また向き合える状態を残しておく。

これはかなり地味です。
でも、おそらくかなり効きます。

意志力に頼らない「戻る仕組み」。進化心理学を自分を扱うレンズにする

ここで最後に、もう一度進化心理学のほうへ少し戻ってみたいのです。

欲の熱に飲まれるたびに、自分は弱いのではないかと思うことがあります。
どうしてここで止まれなかったのか。
どうして離れられなかったのか。
どうして「今回だけ」にまた負けたのか。

けれど、それを精神論だけで処理しようとすると、また苦しくなります。
根性が足りない。
意志が弱い。
もっと強くならなくては。
こうした言葉は、一時的には気持ちを引き締めるかもしれません。
でも長くは続かないことが多い。

ここで進化心理学のような構造のレンズを借りると、少し見え方が変わります。
人間は、取りこぼしを嫌う。
今回を逃したくない。
少しうまくいくと、そこに居続けたくなる。
そういう反応をしやすい古い設計を、ある程度は持っているのかもしれない。

もちろん、進化心理学が人間のすべてを説明するとは思いません。
けれど、「そういう構造があるのかもしれない」と見るだけでも、自分の責め方は少し変わります。

精神論でねじ伏せるのでなく、まず構造として見る。
そうすると、自分に必要なのは無敵の意志力ではなく、戻れる仕組みなのだとわかってきます。
ルールを作る。
環境を整える。
熱が上がったら離れる。
ホームポジションへ戻る。
そうやって自分を扱う。

これは、自分を甘やかすこととは少し違う。
むしろ、人間の設計を知ったうえで、自分を壊しすぎないための知恵に近いのでしょう。

おわりに

欲に押されて前へ出ることは、人間の自然な動きなのだと思います。
もっと取りたい。
もっと確かめたい。
もっと正しかったことを証明したい。
その熱があるから、人は挑みもする。

けれど、いつも進み続けることだけが知恵ではない。
ときには、いったん戻る。
ホームポジションに戻り、やり直せる自分を残す。
その逃げ足が、長い目で見ればいちばん身を助けることもあるのでしょう。

このシリーズでは、欲を断罪するためではなく、欲を少し見えやすくするために書いてきました。
欲は、人を困らせる。
でも、欲があるから人は前へも進む。
だから大事なのは、欲をなくすことではなく、その熱に全部を任せないことなのだと思います。

頑張ったことは、頑張ったでいい。
得たものも、あったでいい。
だからこそ、全部をそこに置き切らず、いったん帰る。
0地点に戻る。
ニュートラルに戻る。
そしてまた、仕切り直す。

その知恵を持てることが、たぶん人間を少し助けるのでしょう。


『マネーの公理』(マックス・ギュンター)

「強欲(グリード)に打ち勝つためには、あらかじめ自分がいくら欲しいかを決めておき、それを手に入れたら、すぐにそこから立ち去ることだ」

12の主要公理と16の補助公理からなる本書は、単なる投資のハウツー本ではありません。
それは、人間が逃れられない「欲」という性質を認めたうえで、いかにして理性の手綱を離さずに生き残るかを説いた、冷徹で慈悲深いサバイバルガイドです。

「もっと」という囁きが聞こえたとき、この本が提示する公理は、あなたを「心理的ホームポジション」へ引き戻す強力なアンカー(錨)になってくれるはずです。
欲に飲まれず、次を残す自分であり続けるために。


欲は私たちにとって厄介なだけのものではありません。
私たちの生存に必要不可欠だった。
そんなことを、進化心理学や行動経済学などの考え方を借りて語っているシリーズです。


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