期待することは、決して「悪いこと」ではない
子どもが夢を持つこと。
親がそれを応援すること。
それ自体は、とても自然で大切なことだと思います。
けれど親まで子どもとまったく同じ景色を見始めてしまうと、うまくいかなかったときに、子どもを受け止める側がいなくなってしまうことがあります。
期待、努力、成長、そして届かなかったときの受け止め方。
この記事では、子どもの夢を応援するときに親が心のどこかで持っておきたい視点について、静かに考えます。
子どもが何かを好きになる。
夢中になる。
「こうなりたい」と言い出す。
それは、親にとってうれしいことだと思います。
応援したくなる。
できることなら叶えてほしいと思う。
そのために、できるだけのことをしてあげたいと思う。
それは自然なことです。
むしろ、とても健全な感情なのだと思います。
親が期待すること。
子どもがそれに応えようとすること。
その往復の中で、人が伸びていくこともたしかにあります。
実際、何かを成し遂げた人の話を聞くと、親の期待や応援が支えになっていた、という話はよく出てきます。
ですから、期待すること自体が悪いわけではありません。
まずそこは、はっきりしておいていいのだと思います。
なぜ親まで「同じ夢の視界」に入り切ると危ういのか
ただ一方で、親が子どもの夢を応援するとき、少し気をつけたほうがいいこともあります。
それは、親まで子どもとまったく同じ景色を見始めてしまうことです。
子どもが夢を見るときは、少し無謀なくらいでもいいのかもしれません。
「できるかもしれない」
「行けるかもしれない」
そう思う力が、前に進むための燃料になることはあります。
でも親まで完全に同じ視界に入り切ってしまうと、その夢が思うように進まなかったときに、子どもを受け止める側がいなくなってしまうことがあります。
ここは、かなり大事なことだと思っています。
成功の物語の裏に隠された「語られにくい現実」
夢には、きれいな成功談があります。
努力して、頑張って、壁を越えて、結果を出した。
そういう話は目立ちます。
人の心も動かします。
けれど、その裏には、同じように願って、同じように頑張って、それでも届かなかった現実がたくさんあります。
途中でやめた人。
向いていないと気づいた人。
別の道に進んだ人。
本気だったけれど、届かなかった人。
そういう現実は、成功談ほどは語られません。
けれど実際には、そちらのほうがずっと多いのかもしれません。
「努力=成功」という生存者バイアスの罠
だから親は、夢を応援しながらも、そのことを心のどこかで持っておいたほうがいいのだと思います。
努力は大切です。
それはたしかです。
ただ、努力がそのまま成功を保証するわけではありません。
努力しても報われないことはあります。
それは特別な例外ではなく、普通に起こることです。
ここを親が持っていないと、うまくいかなかったときに話が危うくなります。
もっと努力できたのではないか。
まだ足りなかったのではないか。
ここでやめるのは甘えではないか。
そういう見方に流れやすくなるからです。
でも本当は、結果が出ない理由は努力不足だけではありません。
向き不向きもあります。
タイミングもあります。
心身の状態もあります。
環境もあります。
運もあります。
親がその現実を持っていないと、届かなかったときに、子どもの努力がそのまま「足りなかったもの」として処理されやすくなる。
そこは、できるだけ避けたほうがいいのだと思います。
親の「期待」が、子どもの現在地を狂わせる「参照点」になる
そしてもうひとつ、難しいことがあります。
子どもがどこまで伸びるのか。
どの方向に伸びるのか。
今がその時期なのかどうかは、外からはとてもわかりにくいものです。
親にもわからない。
本人にもまだわからない。
まして、最初から見切れるものではありません。
それなのに親は、つい思ってしまいます。
この子はもっとできるはずだ。
このくらいまでは行けるはずだ。
ここで終わる子ではないはずだ。
もちろん、その気持ちは愛情から来ることも多いでしょう。
可能性を信じているからこその言葉でもあると思います。
でも、その「できるはず」が、いつのまにか基準になることがあります。
本当はまず、目の前の子どもの現在地を見るべきなのに、先に親の期待が物差しになってしまう。
すると現実との差が、そのまま不足や遅れに見えやすくなります。
もしかしたら、その時点で子どもは子どもなりにかなりやっているのかもしれません。
今出せる力の中で、十分に頑張っているのかもしれません。
けれど、親の参照点が高いところへ動いてしまうと、その現実が見えにくくなることがあります。
ここは、親が気をつけていたいところです。
親の真の役目は、背中を押すことだけではない
二重の傷──「夢の破綻」と「親への申し訳なさ」から守る
親は、期待していい。
応援していい。
背中を押していい。
でも同時に、その期待が届かない可能性も、親の側では引き受けておかなければならないのだと思います。
子どもが夢に向かって走るとき、親まで同じ夢の視界に入り切ってしまうと、届かなかったときに子どもは二重に傷つきやすくなります。
ひとつは、夢が叶わなかったことそのもの。
もうひとつは、親の期待にも応えられなかった、という感覚です。
これはかなり重いものです。
だから親の役目は、夢を信じることだけではないのでしょう。
夢を応援しながら、もしうまくいかなかったときには、その努力や時間や思いが、本人の否定にならないように受け止めること。
ここまで含めて、親の役目なのだと思います。
同じ方向を見ながら、少しだけ「違う視点」を持つ勇気
子どもは、少しずつ変わっていきます。
それが成長なのだと思います。
だから、何かが思うようにいかなくなったとしても、そこで子どもが止まるわけではありません。
うまくいかなくなったあとにも、迷いながら、傷つきながら、考えながら、また変わっていく。
別の形で、自分の歩幅で変わっていく。
親は、その変化を妨げずに見ていくことができるはずです。
親の期待で押し戻しすぎず、そこで終わりにしてしまわず、その子なりの流れを受け入れていくことができるはずです。
そう流れていくといいのだろうと思います。
子どもが前だけを見て走ることはあっていい。
むしろ、そういう時期は必要なのかもしれません。
でも親は、同じ方向を見ながらも、少しだけ違う視点を持っていたほうがいい。
この子はどこまで行けるだろうか。
だけではなく、
この子がもし届かなかったとき、その現実をどうやって受け止められるだろうか。
そこまで考えておくこと。
それは夢に水を差すことではありません。
冷たいことでもありません。
むしろ、夢が届かなかったときに子どもを守るための、静かな準備です。
親が本当に持つべきなのは、「この子はもっとできるはずだ」という期待だけではなく、「この子にはこの子の限界やタイミングがあるかもしれない」という認識でもあるのでしょう。
ここまで書いてきたことは、少し概念的に見えるかもしれません。
けれど実際の子育ての時間は、もっと現実的で、もっと速く進んでいきます。
毎日の生活があります。
機嫌があります。
学校があります。
習い事があります。
親の仕事もあります。
その中を、親も子もどんどん進んでいく。
だから、こういう視点を毎日強く意識し続ける必要はないのだと思います。
ただ、心のどこかにうっすら置いておく。
何かがうまくいかなくなったときや、期待が強くなりすぎたときに、少し立ち戻れる場所として持っておく。
そのくらいで、ちょうどいいのかもしれません。
おわりに:夢が届かなかったときの「風」を考えておく
これから子どもと一緒に歩いていく人たちに、少しだけ覚えておいてもらえたらいい。
そんな種類の話なのだと思います。
夢を信じよう。
可能性を広げよう。
最後まで諦めないことが大事だ。
そういう言葉のほうが、きっと明るいし、力もあります。
私も、子どもが夢を持つことには賛成です。
親がそれを応援することにも、まったく異論はありません。
ただ、親まで「うまくいくこと」だけを見ていてはいけない。
私はずっと、そう思ってきました。
それは夢を疑うことではありません。
悲観することでもありません。
むしろ、うまくいかなかったときにも、その子の努力や時間や思いが、無駄だったことにならないようにするためです。
夢を見るのは子どもの役目で、夢が届かなかったときの風まで考えておくのは、親の役目なのかもしれません。
【編集後記:混ざり合う視線の先に、自分だけの境界線を】
子どもの夢を自分のことのように願う。その熱量が、時に子どもの景色を塗りつぶしてしまうことがあります。
どこまでが子どもの人生で、どこからが親の願いなのか。
その境界線は、驚くほど曖昧で脆いものです。
「Audible」で流れてくる多様な言葉たちは、そんなあなたを「親」という役割から一歩引き剥がし、一人の人間に立ち返らせてくれます。
同じ空を見上げながら、それぞれが違う風を感じていい。
溢れる感情を知性で整え、子どもが自分の翼を信じられる「静かな見守り」を、耳から届く知恵と共に始めてみませんか。
[PR] 想いを、信じて見守る力に変える。:【Audible】
親のOS について書いた1本目の記事です。ぜひ最初からお読みください。
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