子育てをしていると、どこまで口を出すべきか、どこで見守るべきか、親はいつも迷います。
手をかけすぎても苦しいし、放っておいても不安になる。そんな揺れの中で、親の認識や反応の土台になっているものを、このシリーズでは「親のOS」と呼んでいます。
今回は、その親のOSが安定して働くための正攻法として、アドラー心理学の子どもへのアプローチを丁寧に見ていきます。
子どもを一人の人間として尊重すること。課題を混ぜすぎないこと。褒めるより勇気づけること。結果だけでなく、つながりや居場所を大切にすること。
どれも派手ではありませんが、親子の距離感を見失いやすい時代に、静かな土台になりうる考え方だと思います。
少し長いですが、ゆっくり読んでいただきたいです。
子育てをしていると、親は本当に迷います。
どこまで口を出していいのか。
どこで見守るべきなのか。
背中を押すのがいいのか、少し待つのがいいのか。
手をかけすぎても苦しいし、放っておくのも不安になる。
今の時代は、そこに情報の多さまで重なります。
いろいろな考え方があって、どれももっともらしく見える。
だからこそ、親の側にある基本設定のようなものが、案外大事なのだと思います。
このシリーズで言う「親のOS」とは、親として子どもを見るときの、認識と反応の基本ソフトのようなものです。
何を不安と感じるのか。
何を期待するのか。
どこで口を出し、どこで待つのか。
うまくいかなかったときに、何を思うのか。
そうした判断の土台になっているものを、ここではひとまず「親のOS」と呼んでいます。
もちろん、これは説明のためにこちらで仮に置いている言葉でもあります。
ただ同時に、本来はそれぞれの親が、それぞれの家庭や子育ての現実に合わせて、少しずつ設定していくものでもあるのだと思います。
親は、不安になります。
期待もします。
先回りしたくなることもあります。
子どもを守りたくなることもあります。
そうした反応は、親としてごく自然なものです。
だから親のOSは、何か悪いものの名前ではありません。
むしろ、親である以上避けがたく動いてしまう反応の土台を、いったん見える形にしておくための言葉です。
何が起きやすいのか。
自分はどこで揺れやすいのか。
どんなときに子どもを見誤りやすいのか。
それをあらかじめ知っておくことで、感情や不安に全部持っていかれずにすむこともある。
そして必要なときには、自分が大事にしたい方向へ立ち返ることもできる。
このシリーズで考えたいのは、親の反応をなくすことではなく、親の反応を少し見えるようにして、それに振り回されすぎないための土台を作ることです。
その意味で、親のOSが安定して働くためには、まずは正攻法に立ち戻ることが大事なのだと思います。
今回は、その参照先として、アドラー心理学の子どもへのアプローチを、できるだけ丁寧に見てみたいと思います。
親のOSを支える「正攻法の地図」としてのアドラー
もちろん、アドラー心理学が子育ての唯一の正解だと言いたいわけではありません。
ただ、親子の距離感を考える土台としては、いま見てもかなり正攻法に近い部類だと思います。
子どもを、未完成な存在として見下さない
アドラー心理学の土台には、子どもを人格として尊重する姿勢があります。
子どもは小さい。
経験も少ない。
未熟な部分もたくさんあります。
それでも、だからといって下に置いてよい存在ではない。
親が一方的に操作し、正していく対象として見るのではなく、ひとりの人間として向き合う。
ここが出発点です。
子育てをしていると、親はつい「教える側」「導く側」になりやすいものです。
もちろん、それ自体は自然なことですし、必要な場面もたくさんあります。
けれど、その前に
「この子もまた、自分の感じ方や考え方を持ったひとりの人間である」
という見方があるかどうかで、親子の空気はかなり変わるのだと思います。
たとえば、子どもの頃に父親や母親と話していて、あるときふと、子ども扱いではなく、ちゃんと意見を持つ一人の人として話を聞いてもらえた、と思えた記憶がある人もいるのではないでしょうか。
「お前はどう思う?」
と本気で聞いてもらえた。
あるいは、自分の考えに対して、大人と同じように返してもらえた。
そんな瞬間を、案外はっきり覚えていることがあります。
それは、ただ嬉しかったというだけでなく、少し誇らしい感じでもあったのではないかと思います。
自分が、家の中でちゃんと一人の人間として扱われた。
その感覚が、心の中にくっきり残ることがある。
アドラーが言おうとしていた尊重にも、そういう感覚が近いのではないかと思います。
親のOSが不安や焦りで傾いているときほど、子どもを「調整すべき対象」として見やすくなります。
アドラーは、その手前に尊重を置いた。
ここはやはり、大事な出発点なのだと思います。
「課題の分離」──親の不安と子どもの人生を混ぜない
アドラー心理学でよく知られている考え方のひとつに、「課題の分離」があります。
言葉だけ聞くと少し硬く見えますが、要するに
子どもの人生の課題と、親の不安や願いを混ぜすぎない
ということです。
勉強するかどうか。
友達とどう関わるか。
どんな夢を持つか。
失敗したときにどう立ち直るか。
こうしたことは、本来かなりの部分が子どもの課題です。
親は心配します。
放っておけないと思うこともあります。
できればうまくいってほしいし、できれば傷ついてほしくない。
でも、その気持ちが強くなりすぎると、子どもの課題がそのまま親の課題のように見えてしまうことがあります。
すると、親は必要以上に先回りしやすくなる。
必要以上に口を出しやすくなる。
うまくいかなかったときには、自分の失敗のように感じてしまうこともある。
ここは、少し落ち着いて見たほうがいいのだと思います。
課題を分けるというのは、放っておくことではありません。
無関心になることでもありません。
支えることはできる。
環境を整えることもできる。
話を聞くこともできる。
必要なときに助けることもできる。
けれど、その子の人生そのものを親が引き受けることはできない。
奪わずに待つことが、子どもの「自分でやれた」記憶になる
そして、この話にも、子どもの側から見た記憶があります。
子どもの頃、何か困ったことがあったときに、最終的に親に頼らず、自分で考えて、自分で何とかできた。
その記憶だけが、なぜか一際鮮明に残っていることがあります。
誰かとぶつかったこと。
何かを決めたこと。
怖かったけれど自分で話したこと。
親に全部やってもらったのではなく、自分で通った感じがあったこと。
そういう記憶は、ただ解決した出来事としてではなく、
「自分でやれた」
という感覚として残ることが多い。
そしてそのとき、親が全部を奪わずに少し待ってくれたこと、必要以上に入り込みすぎなかったことが、あとからじわじわ効いていたりもします。
一人前というにはまだ早くても、
少なくとも「自分の人生の一部を自分でやった」と感じられたこと。
それが、子どもの中ではかなり大事な嬉しい記憶になるのだと思います。
この線を見失わないことが、親のOSを安定して働かせるためには大切なのだと思います。
「褒める」よりも、横の目線で「勇気づける」
アドラー心理学では、子どもへの関わり方として「褒める」より「勇気づける」ことが重視されます。
ここだけ切り取ると、少しわかりにくいかもしれません。
褒めることの何がいけないのか、と思う人も多いでしょう。
実際、褒めること自体をすべて悪いものと考える必要はないのだと思います。
ただ、褒める言葉はどうしても、親が上から評価する形になりやすい。
「えらいね」
「すごいね」
「よくできたね」
こうした言葉はわかりやすい反面、子どもが
「どうすれば認められるか」
を先に見るようになりやすいこともあります。
それに対して勇気づけは、結果を判定するというより、その子の取り組みや工夫や姿勢を見て、
「自分でやっていけそうだ」
と思えるように支える関わりです。
評価ではなく、私は「あなたの姿を見ていた」と伝える
たとえば、
「最後まで自分でやってみたね」
「難しかったのに、そこでやめなかったね」
「自分で考えていたんだね」
「私は、その姿を見ていてうれしかったよ」
こういう言葉は、上からの評価というより、その子の姿を見た実感として返している言葉です。
ここで大事なのは、
あなたは偉い
と言うことより、
私はその姿を見ていたよ
と伝えることなのかもしれません。
この違いは小さく見えて、案外大きいのだと思います。
そしてこれもまた、子どもの側からすると、はっきりした記憶になることがあります。
何かをやり遂げたときに、ただ「すごい」と言われたことよりも、
自分がやっていた過程をちゃんと見てもらえていた。
工夫したことや、迷っていたことや、途中でやめなかったことを見てもらえていた。
そのことのほうが、あとになって深く残ることがあります。
「ちゃんと見てくれていたんだな」
「結果だけじゃなくて、自分のやっていたことを見てもらえたんだな」
そう思えたとき、子どもは少しだけ、
一人の人として扱われた感じを持つのではないかと思います。
子どもを「評価される存在」として扱うのではなく、自分で考え、試し、失敗し、またやってみる存在として支える。
アドラーの勇気づけには、そういう空気があります。
「共同体感覚」──評価されるためではなく、つながりの中で生きる
アドラー心理学では、子どもが健やかに育つために大事なものとして、共同体感覚がよく語られます。
少し難しく見える言葉ですが、意味はそこまで複雑ではありません。
簡単に言えば、
自分はここにいていい
誰かとつながっている
自分も何かの役に立てる
と感じられることです。
子どもは、ただ能力を伸ばせば安定するわけではありません。
勉強ができることや、運動ができることだけで、心の土台ができるわけでもありません。
それよりもまず、
家の中でも、学校でも、どこかで
「自分は受け入れられている」
と感じられること。
そして、ただ守られるだけではなく、
「自分にもできることがある」
と思えること。
アドラーは、その感覚をとても大事にしていたのだと思います。
たとえば家庭の中でも、
「手伝ってくれて助かったよ」
「一緒にやってくれると助かる」
「いてくれてうれしいよ」
そんな言葉があると、子どもは評価される対象というより、家族の一員としてそこに参加している感覚を持ちやすくなります。
共同体感覚とは、子どもが「評価されるために生きる」のではなく、
「つながりの中で生きていていい」と感じられること、と言ってもいいのかもしれません。
家庭の中に「自分も役に立てる」という居場所を作る
そしてこれもまた、あとになって思い返すと、かなり輪郭のある記憶になっていることがあります。
家の中で何かを頼まれたこと。
役に立てたと感じたこと。
ただ守られていただけではなく、自分もこの場所に参加していたと思えたこと。
そういう瞬間は、子どもの側からすると、案外よく覚えているものです。
それは「大人と同じ」ではないにしても、少なくとも「家族の中のちゃんとした一員」として認められた感覚だからだと思います。
一人の人として見てもらえたこと。
自分の力を少し信じてもらえたこと。
自分がここにいてよいだけでなく、ここにいて役に立てると感じられたこと。
そういう感覚は、子どもの中にかなりはっきり残るのではないでしょうか。
今の時代は、親も子どもも、どうしても結果や評価に目が向きやすい。
だからこそ、この感覚はなおさら大事なのだと思います。
アドラーは、親のOSが暴走しないための「制御装置」
アドラー心理学の子どもへのアプローチには、いろいろな読み方があると思います。
ただ、親のOSという観点から見ると、どれも共通して
親のOSが暴走しにくくなる方向
を持っているように見えます。
子どもを思い通りに動かそうとしすぎないこと。
不安から先回りしすぎないこと。
評価で押し込みすぎないこと。
結果だけで親子の関係を細くしないこと。
そうした方向へ、少しずつ親を戻してくれる。
尊重することは、子どもを調整対象にしすぎないことにつながる。
課題を分けることは、子どもの人生を親が背負いすぎないことにつながる。
勇気づけは、評価で動かそうとしすぎないことにつながる。
共同体感覚は、結果や競争だけに寄りすぎないことにつながる。
どれも派手ではありません。
近道でもありません。
でも、かなり正攻法に近い考え方ではあるのだと思います。
完璧な親を目指すのではなく、立ち戻れる場所を持つ
もちろん、アドラー心理学だけで子育てのすべてが説明できるわけではありません。
今の子育てには、情報過多もあります。
SNSもあります。
親の働き方も変わっています。
社会のスピードも、昔とはかなり違う。
そういう意味では、アドラーだけで全部足りる、という話ではないのでしょう。
ただそれでも、親子の距離感が乱れやすい時代に、いちど立ち戻るための地図としては、やはり学ぶものが多いように思います。
子どもを尊重すること。
親の課題と子どもの課題を混ぜすぎないこと。
評価よりも勇気づけを意識すること。
競争より先に、つながりや居場所を大切にすること。
どれも、いま見てもかなりまっとうです。
少なくとも、親のOSを少し落ち着かせる方向には働きやすい。
その意味で、アドラーは今でも十分に読む価値があるのだと思います。
子どもを変えるためではなく、親のOSを支えるために
アドラー心理学は、親が完璧になるための理論ではないのだと思います。
子どもを思い通りに育てるための方法でもない。
親が不安にならないための魔法でもありません。
そうではなく、親が少し落ち着いて、子どもを見誤りにくくなるための土台。
それくらいの距離感で持っておくのが、ちょうどいいのかもしれません。
毎日の子育ては、もっと具体的で、もっと忙しく、どんどん進んでいきます。
だから、こういう考え方を毎日強く意識し続ける必要はないのでしょう。
ただ、何かがうまくいかなくなったとき。
親の不安が強くなりすぎたとき。
子どもを少しコントロールしたくなったとき。
そんなときに、少し立ち戻れる場所として持っておく。
その意味でアドラー心理学は、子どもを変えるための理論というより、親のOSを支える静かな土台になりうるのだと思います。
【編集後記:信じて手放すための、上質な「別離」を】
「課題の分離」。
それは冷たさではなく、相手の人生を尊重する究極の愛です。
けれど、目の前の子どもに執着せず見守り続けるには、親自身が自分の人生を謳歌しているという「心の余裕」が欠かせません。
「一休.com」で選ぶ静謐な宿は、あなたが「親」という役割から一歩離れ、一人の人間に戻るための聖域です。
あなたが自分の時間を慈しみ、満たされた表情でそこにいる。
その自立した姿こそが、子どもが自分の足で歩き出すための本当の「勇気づけ」になります。
子どもの空を心配する代わりに、まずはあなたが、自分だけの美しい景色を見つけに行きませんか。
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親のOSについての記事、最初からぜひ読んでみてください。
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