古代の脳──私たちを動かし続ける20万年前の設計図

はじめに

人間は「理性的な存在」だと考えられがちです。

けれど、行動経済学の研究が進むにつれて、その前提は大きく揺らぎました。

人はしばしば、合理的ではない判断を下します。感情に流され、衝動で動き、後から理屈をつけて正当化する。

なぜ、そんなふうにできているのか。

その答えは、私たちの脳の成り立ちそのものの中にあります。


行動経済学の背後にある「進化の設計図」

行動経済学は、経済活動における“非合理”を説明する学問です。

しかし、その基盤には神経科学や進化心理学があります。

「なぜ人は合理的に判断できないのか」という問いは、

突き詰めれば「人間という生き物はどのように進化してきたのか」という問いに行き着きます。

カーネマンやトヴェルスキーが明らかにした「バイアス」は、

実は20万年前の人類が生き延びるために身につけた生存戦略の名残です。

行動経済学は、その古代的な脳の“設計上の癖”を解析するための道具にすぎません。


三層構造の脳:旧い層がいまも支配している

人間の脳は、一枚のシートのように作られたわけではありません。

進化の過程で、古い層の上に新しい層が重なり合うようにして形成されました。

  • 爬虫類脳(脳幹):生命維持・闘争・逃走など、即時反応を司る
  • 哺乳類脳(辺縁系):感情・母性・群れのつながり
  • 人間脳(新皮質):言語・論理・計画・創造性

この三層は「置き換え」ではなく「積層」です。

つまり、古い脳は今もそのまま生きていて、

現代人の理性的な判断の前に、まず“感情”が反応します。

理性は、行動の理由をあとから説明しているにすぎない――。

この逆転構造こそ、現代の脳科学が明らかにした驚くべき事実です。


古代の環境で生まれた“合理的なバグ”

いまの社会では“非合理”とされる行動も、

古代の環境では生存のために極めて合理的でした。

  • 損失回避:少しの損失が命に直結した時代では、減ることへの敏感さが生き残りの鍵だった。
  • 確証バイアス:危険が迫る環境で、いちいち疑っていたら間に合わない。信念を貫く方が速かった。
  • 社会的比較:群れの中での地位は、食料や安全を確保するための生存指標だった。
  • 現在バイアス:明日の果実より、今日の獲物。未来より今を選ぶ方が合理的だった。

これらは、いまも私たちの無意識の奥に生きている“古代の合理性”です。


現代社会と「設計ズレ」

しかし、環境は劇的に変わりました。

情報は爆発的に増え、危険よりも刺激に囲まれています。

けれど、私たちの脳はその変化に追いついていません。

古代の脳は、現代の情報や音、光の刺激を、自分の知っているものに置き換えて理解しようとします。

SNSの「いいね」は、群れからの承認と同じ報酬回路を刺激します。

スマホの通知音は、捕食者の気配や仲間の呼びかけと同じように処理されます。

そして、選択肢の多すぎる現代社会は、“選択肢がほとんどなかった”原始の脳にとって過負荷となり、選択疲労を引き起こします。

私たちは、21世紀を生きながら、いまだに古代の設計を使って世界を見ているのです。


理性の仮面をかぶった原始人

行動経済学が登場する前、人間の非合理は「意志の弱さ」や「怠惰」とみなされていました。

けれど、今ではそれが生物としての宿命だとわかっています。

どれほどテクノロジーが進化しても、

私たちの脳は火を恐れ、闇に怯え、群れに帰属したいという原始の反応を抱えたままです。

理性の塔は、その上に築かれた仮設構造にすぎません。

行動経済学は、そのプログラムを数値化し、

ようやく“非合理の設計思想”を読み解き始めた段階にあるのです。


結びに代えて

古代の脳を知ることは、自分を責めずに理解することでもあります。

行動や感情の多くは、意志ではなく構造に由来している。

そう気づくだけで、生きづらさは少し軽くなるかもしれません。

私たちが感じている生きづらさの多く――いや、もしかするとその大半は――

この「古代の脳」が設計した反応に源を持っているのです。

だから、弱さや敏感さ、揺らぎは、欠点ではなく“人間らしさ”の証でもあります。

私はこのブログを通じて、

「自分が弱いから生きづらいのではない」ということを、少しずつ伝えていきたいと思っています。

それが、“古代の脳”を見つめる理由です。

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