行動経済学を「読む」から「生きる」へ─理論を超えた“自分の中の人間”
行動経済学という言葉を、最近よく耳にします。
ナッジ、プロスペクト理論、アンカリング効果。どれも人間の“非合理な選択”を説明する理論です。
けれど、多くの人が感じているのではないでしょうか。
「確かに面白い。でも、どこか他人ごとだ」と。
たとえば、コロナ禍に駅の床に貼られた“間隔を空けて並ぶ”ステッカー。
あるいは、男性トイレの便器に貼られた“例の的シール🎯”。
どちらも行動経済学の応用ですが、そこに“自分の感情”が動くことはあまりありません。
私たちは、社会実験の中の“観察対象”としての人間を見ているだけなのです。
でも、自分の中の人間を観察する場がひとつあります。
それが、相場(マーケット)です。
相場では、誰もが一瞬で「合理的でない自分」と出会います。
損失を避けたい(プロスペクト理論)。
利益を早く確保したい(時間選好)。
自分の予想を正当化したい(確証バイアス)。
後悔したくない(後悔回避)。
本の中で読んだ理論が、感情とともに襲いかかってくる。
まるで、知識が現実に変わる瞬間です。

トレードとは、「行動経済学を生きる」行為そのもの。
エントリー、利確、損切り——すべての判断の背後に、自分の癖が潜んでいます。
相場に立つことは、毎日が心理実験であり、自分という人間の研究です。
理論を“読む”だけでは、頭の中に残る。
けれど、痛みや焦りとともに体験すると、知識は“身体知”として刻まれる。
それが、学問を生きるということです。
行動経済学を「読む」のではなく、相場を通して「生きる」。
そんなテーマで、noteに記事を書きました。
相場という鏡に映る“人間のリアル”を、静かに見つめています。
