科学ではなく、物語としての進化心理学

――古いプログラムを責めずに観察するということ

私たちの身体は、いまだに狩猟採集時代のプログラムを走らせています。

ブルーライトで目が冴えるのも、SNSの「いいね」で心がざわつくのも、実は同じ原理。

それは、遠い昔の生存本能が現代社会でもまだ働いている証拠です。

この記事では、それを科学ではなく“物語としての進化心理学”の視点から見ていきます。


行動経済学が「構造」を語るなら、進化心理学は「物語」を語る

行動経済学や脳科学は、人間の判断を数値と実験で説明しようとします。

「なぜ誤った選択をするのか」「どんな条件で損を避けようとするのか」。

これらは“構造”を明らかにする学問です。

一方で進化心理学は、“なぜそんな構造が生まれたのか”という物語を語ります。

たとえばこんなふうに。

危険に敏感なのは、捕食者から逃げ延びるため。

甘いものを好むのは、飢餓の時代にエネルギーを確保するため。

承認に敏感なのは、群れの中で排除されないため。

これらは完全に証明された科学的事実ではありません。

けれども、“物語”として私たちを納得させる力を持っています。


真偽よりも「自己受容の道具」として

進化心理学の面白さは、正しいかどうかよりも人間理解の助けになるところです。

「私は弱い」ではなく、

「私はそう設計された生き物なんだ」と考えるだけで、

少しだけ自分に優しくなれる。

夜中にスマホを見て眠れない、

他人の評価に心を揺らす、

やめたいのにやめられない――

それらは意思の弱さではなく、旧プログラムの自然な反応です。

理性ではなく、環境の進化があまりにも早かっただけ。

身体と社会の速度がズレてしまっているのです。


旧プログラムを観察するということ

いま私たちは、

青い光に覚醒し、

他者の視線を恐れ、

群れの中の立ち位置を測りながら生きています。

でもそれは、かつての生存戦略の名残。

その仕組みを「悪い」と切り捨てるのではなく、

観察の対象として扱うだけで、ずいぶん楽になります。

観察は批判をやわらげ、

批判のない観察は、再現性を生みます。


結びに:人間を「物語」として理解する

科学が人間を制御するための言語だとすれば、

物語は人間を理解するための言語です。

合理的に説明できない感情や反応を、

「こういうふうに進化してきたんだ」と語るだけで、

理屈では届かない納得が生まれる。

人間は合理的に設計されてはいない。

けれど、非合理の物語を語る力を持っている。

それこそが人間の、最後の合理なのかもしれません。

科学で説明しきれない部分を、物語で理解する。

それが、感情を責めずに観察する最初のステップです。

明日また少しだけ、自分の“旧プログラム”をやさしく見つめてみましょう。


035 生きづらさを少しだけほどく知恵——課題の分離と人間の進化の仕組み|【FX】Re: Trader