ジッパー合流が教えてくれる、ささやかな気分の動き

ジッパー合流の方法はとてもシンプルです。

左右の車線が一台ずつ順番に入り合うことで、流れが滞らないようにする。

交通工学の世界でも“もっとも合理的”とされている方法ですね。

朝のバイパスや片側規制の工事区間で、自然とこれが成立していることがあります。

誰も声を出さず、誰も指示を出さない。

ただ、無言のまま「次、どうぞ」と交互に進んでいく。

その瞬間の、あのスムーズさ。

なんとも言えない気持ちよさがあります。


譲ったときの、ほんの少し胸が軽くなる感じ

相手の車にスペースをあけたとき、運転席の中で小さく息が抜けるような感覚がある。

偉大な自己犠牲をしたわけではないのに、ちいさな達成感がある。

「どうぞ、先にどうぞ」

そんな一秒の優しさが、自分の中にも確かに存在したのだと思える瞬間です。

相手からハザードでお礼をされてもされなくても、

なぜか胸のどこかがほんの少し整う。

譲り合いって、案外自分のためにもなっているのだと気づかされます。


逆に、入れてあげられなかった時の“ちょっとした居心地の悪さ”

一方で、流れの都合で入れてあげられなかったり、

自分が少し急いでいてスペースを作れなかったりすると、

後ろめたさがじんわり残ることがあります。

「まあ仕方ないけど…」と自分に言い聞かせながらも、

ほんの小さなトゲのような感覚が胸の中に残る。

決して大きな罪悪感ではないのに、

ああ、さっきちょっと余裕がなかったな、と静かに思い返す。

たった一台分のスペースなのに、

そこには人としての余白が映し出されているような気がします。


朝の合流地点は、ちいさな“気分の交差点”でもある

譲れた朝は少し気持ちが良く、

譲れなかった朝は少しだけ思いが引っかかる。

その差は本当にわずかですが、

こうした小さな波が、日常のリズムをつくっているように思います。

ジッパー合流は交通のための仕組みであると同時に、

人の内側の“気分の流れ”まで整える働きを持っているのかもしれません。

そんなことを思いながら走る朝は、

いつもより少しだけ静かで、すこしだけ優しく見えるものです。

078 ジッパー合流の心理学──朝の渋滞にこぼれ落ちる人間行動のかたち|【FX】Re: Trader