SNS詐欺を行動経済学で読む:「誰にも言えない」という牢獄
被害は、被害そのものよりも「語れないこと」によって深まります。
多くの人が、損失を認めるよりも、恥を隠すことを選ぶ。
それは理屈ではなく、本能に近い反応です。
人は社会の中で生きている以上、他者からどう見られるかに敏感です。
**「騙された」「信じすぎた」「愚かだった」**と思われるのが怖い。
だから、沈黙する。
その沈黙が、加害者にとっての最大の味方になります。
被害者の内側
被害者は、最初の頃は「誰かに相談しようか」と考えています。
でも、次第に頭の中にこういう声が響き始める。
「まさか自分が騙されるなんて」
「周りに知られたら、笑われる」
「もう少し様子を見てからでもいいかも」
こうして時間が過ぎていく。
相談のタイミングは失われ、孤立は静かに定着していく。
沈黙は、防御のように見えて、実は最も危険な協力行動です。
誰にも届かない場所に、被害は完成していく。
加害者の意図
彼らはその沈黙のメカニズムを熟知しています。
「信頼関係を壊したくない」という感情を利用し、「この話は他の人には言わないで」と穏やかに釘を刺す。
それは命令ではなく、優しさの形をした隔離。
「あなたを守りたい」「秘密を共有できるのはあなただけ」──
そんな言葉で、外界との接触を断つ。
孤立は、暴力ではなく言葉で作られる。
“信頼”という名の囲いの中で、被害者は自ら扉を閉める。
恥の構造──社会的コストの重さ
恥は、人間の社会的感情の中で最も強い抑止力を持ちます。
心理学的には、恥は自己意識の痛みとされます。
「自分がどう評価されるか」を想像することで生じる痛み。
被害者の内側:
損失よりも、「どう思われるか」が怖い。
お金を失った痛みより、「信じた自分が間違いだった」と知られる恥のほうが深い。
だから、沈黙する。
加害者の意図:
彼らは、被害者が**“恥を感じ始めるタイミング”**を見極めて動く。
最初は親しみや共感を装い、 中盤では「二人だけの信頼関係」を強調し、 終盤には、「誰かに話したら台無しになる」と優しく脅す。
恥を内面化させれば、もう監視はいらない。
被害者が自ら沈黙する限り、支配は完成します。
情報隔離という構造的暴力
加害者の戦略は、心理的ではあるが、同時に極めて構造的でもあります。
彼らは情報の“道”を一本ずつ閉ざしていく。
- 別の相談先を否定する。
- 他の情報源を「嘘」だと断言する。
- 「自分を信じられないのか」と問いかける。
こうして被害者は、情報の生態系から切り離される。
やがて、相手からの言葉だけが真実になる。
そのとき、詐欺はもはや「騙し」ではなく、信仰のような構造へと変わる。
恐怖と安堵が共存する場所
被害者の内側:
孤立の中で、人は奇妙な安心感を覚えることがあります。
「信頼していた人がいる」「この関係には意味がある」そう思うことで、現実の痛みをやわらげる。
加害者の意図:
彼らはその**“心理的安堵”を延命装置として利用します。完全に恐怖で縛るのではなく、希望と安心を交互に与える**ことで支配を安定化させる。まるで麻酔と覚醒を繰り返すように。
「大丈夫」「あなたならうまくいく」
その言葉の温度が、もっとも危険な温度になる。
沈黙が連鎖するとき
沈黙は、被害者の中だけで終わりません。
周囲の人の中にも、小さな「揺らぎ」が生まれます。家族や友人は、本当は気づいている。けれど「傷つけてしまうかもしれない」「余計なお世話になるだろうか」と迷い、そっと距離を置いてしまう。
人は、相手の**“誇り”や“尊厳”を守りたい**ときほど、踏み込めなくなるものです。
その優しさ自体は、とても人間的で温かい。
ただ残念ながら、詐欺の構造はそこに入り込む。
「何か言うべきだろうか」 「でも、責めるつもりはないし…」
こうした迷いが重なると、周囲は**“静かに見守る”**という形になり、結果として被害者を孤立させてしまう。
沈黙は、連鎖していきます。
本人が言わない。
周囲も言えない。
相談するにも気が重い。
気がつけばみんなが「触れない方がいい」という結論に落ち着く。
こうして、誰も悪くないまま“沈黙の共同体”ができあがる。
そしてその静けさこそが、詐欺の延命をもっとも確実に支えてしまうのです。
加害者の意図:
それこそが理想的な環境。外部が静まれば、自分の声だけが響く。“世界のノイズを消す”ことが、詐欺の本当のテクニックなのです。
ケース──沈黙の部屋
Aさんは、一度だけ家族に話そうとした。
でも、言葉が喉で止まった。
「自分が愚かに見える気がした」
翌日、メッセージが届いた。
「あなたを信じているのは私だけ」
その文を見た瞬間、涙が出た。
**安心と罪悪感が同時に胸に広がった。
**そしてまた、誰にも言わないと決めた。
理論を越えて
行動経済学や心理学は、こうした現象を
- “社会的抑止”
- “羞恥回避”
- “情報非対称性”
などの言葉で説明します。
けれど、その背後にあるのは、もっと単純な真実です。
人は、信じた自分を守りたい。
たとえ間違っていても、その信頼の記憶を壊したくない。
だから、沈黙する。
それは理性の敗北ではなく、心の防衛です。
結び──沈黙をほどくということ
恥と孤立は、誰にでも起こり得る。
騙されたからではなく、人を信じたから起こる。
信じる力がある人ほど、沈黙の痛みは深い。
加害者は、その“信じる力”を利用する。
でも、それを否定する必要はない。
信じる力は、本来、世界をつなぐものだから。
被害の構造を理解することは、信頼を手放すことではない。
再び誰かを信じられるように、自分の沈黙を観察することから始まる。
次回は、「犯行を確率で設計するということ」。人間の心理を“統計”で読み解くという、冷たくも現実的な世界の断面を見ていきます。

