心理・進化・社会を“ごちゃ混ぜにしていい”と宣言した

行動経済学の最大の反逆

ちょっと挑発的に聞こえるかもしれないけれど、これは歴史的な意味で本当に大きな転換点なんです。

経済学というのは、長いあいだ「きれいな数式で説明できる行動だけを扱う」という矜持がありました。

効用最大化、最適化、完全情報、合理的選択。

扱うのは“美しい行動”であり、“濁りのない判断”であり、“誤差のない人間”でした。

ところが現実の人間は、そんな上品な存在ではない。

不安に揺れ、

損得で身動きが鈍り、

空気に流され、

直感に飛びつき、

群れの目を気にし、

過去の記憶で今を歪める。

経済学が見たくなかった「濁り」が、実際には人間行動の大部分を占めていたわけです。

行動経済学は、この“濁り”を丸ごと学問の中心に引きずり込んだ。

ここが真の革命です。


経済学が踏み込まなかった禁区

かつて、経済学と心理学の間には“見えない壁”がありました。

経済学は「モデルの美しさ」を重視し、心理学は「人間の癖」を扱う。

その2つは交わらないまま、別々に発展してきました。

そこへ割って入ったのが、カーネマンとトヴェルスキーをはじめとする行動経済学者たちです。

彼らは、禁忌を破ってこう言った。

「人間を人間のまま扱わなければ、経済行動は説明できない」

この一言で、経済学の“縦割り”は瓦解しました。


ごちゃ混ぜにすることで見えてきた“本当の人間”

行動経済学は、異分野の知をさらっと混ぜ込むことを許した学問です。

・直感の癖を説明する認知心理学

・感情の起源を探る進化心理学

・報酬系の仕組みを扱う神経科学

・空気やステータスの力学を説明する社会学

・人類がどんなふうに協力してきたかを考える人類学

この五つは本来別々の領域。

教科書的に言えば「混ぜるな危険」グループです。

けれど行動経済学は、こうした境界をあっさり越えてしまいました。

理由はシンプルです。

経済行動を説明するためなら、使えるものは全部使うほうがいい。

この“雑種性(hybridity)”は、伝統経済学にはなかった美しさと言えるかもしれません。

モジュールを平気でまたぎ、領域をまたぎ、人間の行動を丸ごと相手にする。

それは学問らしからぬ不格好さを持ちつつ、しかし圧倒的に現実的でした。


“美しい理論”を捨て、“人間の現実”を取った

革命の本質はここにあります。

伝統経済学は、美しい数式で完結する世界を愛していました。

だが、行動経済学はあえてその美しさを手放した。

代わりに選んだのは、“人間そのもの”。

揺れ、ためらい、迷い、期待し、怖れ、後悔し、過去に縛られ、未来に怯える──そんな私たちの行動です。

学問史的には、これは異端。

しかし、現実を生きる私たちにとっては革命でした。


境界を壊したことで、初めて人間が見えた

行動経済学の本質は一言でまとめるならこうです。

学問の境界を壊し、人間の行動という“現実”に正面から向き合った最初の経済学。

合理性の仮面を剥がし、

“例外扱いされてきた人間”を主役にした。

そこにこそ、この分野の躍動があります。

この記事と対になる内容を、
同じテーマを“人間の側”から見つめた形で note に書いています。
合わせて読むことで、理解がより立体的になると思います。
興味があれば、そちらもぜひご覧ください。

082 行動の理由はいつもひとつじゃない──人間という“混ざりもの”|【FX】Re: Trader