理不尽の再生産から離脱する──「弱さ」を扱える人が、ハラスメントを止める理由
人は、自分が理不尽な扱いを受けたとき、心のどこかに小さな傷が残ります。
この傷そのものは時間とともに薄れますが、“位置づけ”だけは脳の深部に残り続けます。
あのときの痛み、あの立場、あの無力感。それらは記憶というより、反射に近いものです。
そして皮肉なことに、立場が変わったとき──
上に立ったとき、権限が与えられたとき、誰かを指示する側に回ったとき、その記憶が“誤作動”を起こすことがあります。
「もう二度と弱者には戻りたくない」
この感情が強ければ強いほど、人は“強さの演出”に走りやすくなります。
その最も短いルートが、他者を支配するという行動です。
これが、ハラスメントの原型になります。
たとえば小さな職場でも、部活動でも、組織でも、理不尽を受けた側が立場を持った瞬間に同じ理不尽を再生産する構造は、決して珍しくありません。
これは個人の人格の問題というより、人間の脳がもつ古い生存戦略の反応だからです。
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古い脳が生む“誤作動”
進化人類学をたどると、私たちの脳は長い歳月、小さな群れの序列の中で安全を確保してきました。
群れの中での位置を落とすことは、食料や仲間を失うリスクに直結していました。
そのため、“被害者にならないこと”は、生存の最優先事項だったわけです。
ところが現代社会は、もはやそんな危険地帯ではありません。
立場が下がっても食料はなくならず、仲間も消えません。
それでも脳は、いまだに古いプログラムで動いてしまいます。
結果として、「弱者にならないために、強者の側に立とうとする」この反応が暴走し、強さ=支配という誤った近道を選んでしまうのです。
これこそが、理不尽の再生産ループの正体です。
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ループから離脱するために必要なもの
このループから抜ける方法は、難しいように見えて、構造としてはとてもシンプルです。
自分の弱さを直視できること。
この一点が、すべてを変えていきます。
弱さという言葉はやや情緒的に聞こえますが、実際には「痛かった経験を正確に扱えるかどうか」という技術のことです。
弱さを直視できない人は、脳が「弱さ=生存の危機」と解釈してしまいます。
すると、弱さを見たくない自分を守るために、他者に対して強いふるまいをしようとしてしまいます。
逆に、痛みを受け入れ、弱さを扱える人は、強さを“演出”する必要がなくなります。
演出がいらない人は、支配という近道に手を伸ばしません。
支配しない人は、加害者になりません。
ここに、理不尽ループから抜けるための最も現代的な自衛があります。
弱さを扱えることは、優しさとは少し違います。
これは“古い脳の誤作動を手なづけるスキル”なのです。
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「被害者にならない」は本能
「加害者にならない」は選択
被害を避けたいという気持ちは、本能そのものです。
自然で、当然で、誰にでもあります。
それを否定する必要はありません。
ただし、
被害者にならないことを最優先にすると、
加害者になるリスクが高くなります。
これは皮肉ではなく、脳の設計上の事実です。
「弱者は危険」という古いモジュールが働くからです。
一方で、
加害者にならないことを最優先にすると、
被害を受ける可能性は少し残りますが、
ループには巻き込まれなくなります。
この選択こそが、群れの動物だった人間が“現代仕様”へとアップデートするための分岐点になるのです。
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ハラスメント構造を理解するということ
ハラスメントを完全に消し去ることは難しいかもしれません。
しかし、構造を理解し、その“誤作動”を個人レベルで止めることは可能です。
これは倫理でも道徳でもなく、単に合理的な時代適応です。
強さの演出はいりません。
弱さを扱えるほうが、自分も相手も守られます。
理不尽の再生産という古いループから離脱することは、ただ優しく生きるという意味ではなく、人の脳と社会の構造を理解したうえで選ぶ、静かな知性だと言えるのではないでしょうか。
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